Helpless

1996/12/20 シネマ・ロサ
浅野忠信主演映画第1作は、青山真治の劇場映画第1作。
殺伐とした物語に浅野がへんに馴染む。by K. Hattori



 浅野忠信主演作が観たいという以上に、『チンピラ』の公開も始まった青山真治の劇場映画デビュー作を観ておくつもりで池袋まで足を運んだ。この映画で青山監督は、脚本と音楽も担当している。浅野忠信演ずる主人公、刑務所から出てきたばかりの幼なじみとその妹、かつてのクラスメイトなどが主な登場人物。彼らは日常の中にポッカリと開いた穴に落ち込むように、狂気じみた暴力にとりつかれてしまう。

 浅野忠信は無形の役者です。これと言った「浅野忠信らしさ」のパタンがない。僕はこの人に『眠らない街・新宿鮫』や『四姉妹物語』あたりから注目していたんですが、どんなに無理な設定の役でもそれなりにはまってしまう不思議なところがある。演技にまったく力んだところがないのは驚異です。普通は役者の側に「俺は今これこれの役を演じているのだ」という自覚があって、その役を演じているわけですよね。芝居の演技には、どこかに「演技の臭い」がするものです。ところが浅野には、そうした芝居臭さが見られないのです。

 『眠らない街』で彼が演じたのはロック歌手をつけねらうストーカーという役でしたが、ライブハウスの客席最前列で歌手の歌を聞きながら涙を流すところなど素晴らしかった。ああいう舞台装置でああいう芝居をして、白々しくならないのはなぜなんだろうね。最近の出演作『ACRI』では、焚き火を前にして吉野公佳と話をする場面や、人魚の愛を受け入れる場面はじつに自然な芝居だった。この人はあんまり自然なので、逆にドラマチックな場面が似合わないんですね。周囲の芝居や音楽でどんなに盛り上げても、浅野忠信の芝居だけがあまりに自然体なので、盛り上がり方にズレが出てきてしまう。『ACRI』のラストなんて悲惨でした。

 『Helpless』で浅野が演じた高校生も、日常生活から瞬時に逸脱してしまう様子があまりに自然で、観客であるこちらは戸惑う暇もない。浅野は役柄にあわせてどんどん人物像を広げて行ってしまうので、逸脱が逸脱に見えないのです。浅野のとった行動こそが、その人物にとって、最も自然な振る舞いに見えてしまう。彼が何をしても、その行動にはまったく違和感がない。ちょっと底知れない部分のある役者です。末恐ろしいね。

 この映画を観る前の日、地下鉄の中で永澤俊矢を見かてひとりで喜んでいたので、映画の中に彼が登場した時はつい注目してしまった。背が高くて体格が良くて、声もあんなで、野生的な臭いをプンプンさせている、今の日本には珍しいタイプの俳優ですよね。浅野忠信とはまるっきり正反対で、役を自分の方に引き付けてくる役者です。周囲を威圧させるようなあの存在感は、芝居や演出だけでは出せない。フワフワした映画の中で、永澤が画面にいるとピシッと締まって見える。彼が画面から消えた途端、物語は支えを失ったように、どこまでも暴走してゆく。永澤でも彼らを止められないんだから、もう誰にも無理だろうな、という気にさせられるのです。


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