クロッシング・ガード

1996/12/15 銀座テアトル西友
ジョジョ役のロビン・ライトは『フォレスト・ガンプ』のヒロインでした。
この映画ではまったく生彩がないのが残念です。by K. Hattori



 きっといい映画なんだろうとは思うが、同じショーン・ペンの監督デビュー作『インディアン・ランナー』を観ている観客としては物足りなかった。映画は役者の演技と監督の演出と映像と音楽の混合物で、どれかが勝ちすぎては全体が台無しになってしまう。ラーメンの丼の中にチャーシューが1枚や2枚余計に入っているのは嬉しい驚きだが、チャーシューが麺やスープより多いようではサービス過剰。この映画はもはや、そういうレベルになっている。犯人はジャック・ニコルソンとアンジェリカ・ヒューストン。特にニコルソンは映画の器を大きくはみ出しており、映画を見終わった後、観客にはニコルソンの印象しか残らない。

 『インディアン・ランナー』は小品だが、心に残る映画だった。映画の規模と役者たちがぴったりとしていた。デビッド・モース、ヴィーゴ・モーテンセン、ヴァレリア・ゴリノ、パトリシア・アークエットの4人が、絶妙のアンサンブルを奏でていた。その上で、デニス・ホッパーやチャールズ・ブロンソンが、物語に厚みを与えていたのだ。『トゥルー・ロマンス』で一躍トップスターの一員になったアークエットは出産シーンまで見せる熱演ぶりで、僕に忘れえぬ印象を残したものだ。

 『クロッシング・ガード』も同じように4人の登場人物がいる。だがこの映画のデビッド・モースとロビン・ライトは、ニコルソンとヒューストンの強烈な個性の前に存在が霞んでしまった。不幸な交通事故をきっかけに出会った二人の男の人生は、本来対称的に描かれねばならないし、そのように描こうという痕跡はあるのだが、モースとニコルソンでは互角にぶつかり合えない。何かを悟ったようにニコルソンの襲撃を待ち受けるモースの姿は、酒と女に溺れながら殺意をあらわにするニコルソンの存在感に負けてしまう。

 ニコルソン演じるフレディという男は、娘を事故で失ったことから人格が一変し、ひたすら事故を起こした運転手への復讐だけのために自堕落な毎日を生きている。彼はカレンダーにバツ印を書き加えながら、娘を轢き殺した男が刑務所から出てくるのを待ち構えている。きっと彼の部屋のカレンダーには、数年前から毎日バツ印が書き続けられたに違いない。日常の中で徐々に高まってゆく殺意は、それだけでドラマチックである。

 だが、これはごく普通の日常生活を送っている市民が持つ殺意だからこそドラマチックなのだ。フレディの役には、もっと普通の男に見える俳優を持ってこなければならない。ニコルソンが誰かに殺意を持つ? 当たり前じゃないか。ニコルソンはいつどこで誰を殺したって不思議じゃない顔をしている。

 ショーン・ペンはニューシネマの末裔です。だからデニス・ホッパーが大好きだし、ニコルソンなんて役者を使いたがる。でもこの役は、大統領から人殺しまでありの、マイケル・ダグラスあたりがハマリ役なんだよ。ニコルソンには逆立ちしても大統領は演じられない。


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