ブラック・ジャック

1996/11/18 丸の内松竹
(劇場公開記念試写会)
手塚治虫の名作漫画が初の劇場用アニメーションになった。
アイディアが物語の中で生きていないのは残念。by K. Hattori



 手塚治虫のベストセラー漫画をアニメーション映画化。僕は知らなかったのですが、既にOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)作品として6作がリリースされているそうで、今回はその人気に乗じて劇場映画を作ったようです。スタッフ・キャストはOVA版と同じ。脚本・監督は出崎統。「あしたのジョー」や「エースをねらえ」を作った人なんですね。

 「ブラック・ジャック」は過去に何度か実写で映像化の試みもあったようですが、あのキャラクターは漫画のイメージが強烈すぎて、誰がどう演じてもミスキャストになってしまう。そいういう意味では、アニメーション映画にするのがふさわしいのでしょう。

 原作は週間少年チャンピオンに連載されていた読み切りの連作シリーズで、ひとつひとつのエピソードは短編です。僕は原作を(おそらく)全部読んでいると思いますが、どのエピソードにも当たり外れがなく、まんべんなく面白いのは手塚治虫の天才ぶりを示してあまりある。僕は世代的に「鉄腕アトム」ではなく、完全に「ブラック・ジャック」を読んで育ったくちです。全部で数百はあるであろうエピソードの中から名作を選べと言われれば、両手の数では足りないと思います。

 今回の映画はその原作を離れて、オリジナルの脚本になっています。スポーツや芸術の分野で次々と現れる天才たち。彼らは「超人類」と呼ばれもてはやされるが、その正体は感染性の多臓器不全症候群、通称モイラシンドロームの患者たちだった。相棒ピノコを誘拐同然に連れ去られたブラック・ジャックは、半ば強制的されてモイラ治療のための研究センターで働くことになる。

 物語のアイディアは面白いと思った。しかし、話の運びが意味もなく強引なのは気になる。もっと普通に、政治的なミステリーに仕立てることはできなかったのか。主人公を研究所に招いた謎の女、ジョー・キャロルの人物設定も無茶苦茶なんだよね。MSJと呼ばれる組織の存在も、アイディアとしては面白いけどあまり生きていない。はっきり言うけど、この話はキャロルの生い立ちやMSJを描かなくてもちゃんと成立するよ。アイディアを盛り込みすぎで、消化しきれいていない感じだ。物語が大げさになったぶん、主人公ブラック・ジャックの天才的な手術の腕が果たす役割が小さくなってしまった。

 映画として見た場合、登場人物が馬鹿みたいに突っ立っているだけで、芝居らしい芝居をしていないのも気になった。表情も固くて、台詞だけが生々しいからそのギャップに耐えられない。絵が緻密に描いてあるから、こうした細かい点が気になるのだ。

 頻繁に登場するクローズアップとストップモーションは、テレビの30分番組では効果的かもしれないけど、1時間半の長丁場で何度もやられるとうっとうしい。画面の隅を影にして陰影をつけたりするのも、劇場の大スクリーンで観るとうるさいぞ。テレビサイズの絵作りに開発された効果が、映画では裏目に出ている。


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