栄光と狂気

1996/08/24 新宿ピカデリー2
モスクワ・オリンピックのボイコットにひとり反抗したボート選手の実話。
奥山和由製作、原田眞人監督の英語作品。by K. Hattori


 ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、1980年のモスクワ・オリンピック参加をボイコットしたアメリカ。オリンピックのボート競技でメダルを取ることを夢見てきた主人公は、その4年後のオリンピックに出場することを目指す。しかし、スポーツ選手の全盛期は短い。多くの選手にとって、4年に1度のオリンピックは一生一度のチャンスである。同期の選手たちは多くが社会に出て、競技とは別の人生を歩み出す。若い世代の選手たちが、自分の足元を脅かしはじめる。主人公の戦いは孤独なものにならざるをえない。

 デビッド・ハルバースタムのノンフィクションを『KAMIKAZE TAXI』の原田眞人監督が映画化。原田監督にとっては『ペインテッド・デザート』以来2度目の英語作品。前回も奥山和由プロデューサーと組んでの仕事だった。奥山がらみのせいか、トレーナー役として羽田美智子が出演しているが、相変わらずヘタクソ。松竹が羽田を懸命にスターにしようとする気持ちは痛いほど伝わってくるのだが、生憎と彼女はその器じゃないんだよなぁ。彼女自身、こういうのは重荷なんじゃなかろうかなどと、映画と関係のないことを考えさせられてしまうキャスティングだった。

 映画は足掛け10年ほどの出来事を時系列に描いているのだが、それがやや単調すぎて途中でだれる。物語が一直線過ぎるのだ。途中で別のエピソードにもっと振って欲しい。元になるのが実話だからといって、物語を作るにあたっての遠慮はいらないと思う。嘘でもなんでも、映画として面白くなければ意味はない。主人公ティフを巡るふたりの女のエピソードをふくらませてラブストーリーにするとか、何かキーワードになる台詞を要所にはさむとか、ボート以外の家族や友人たちとの関係を挿入するとか、少しは工夫があってもよかったはずだ。主人公がどんどん追い詰められ、孤立して行く過程の描き方にも、もうひとつ演出が絞り込めていない感じが残った。

 主人公が最後に「全力を出し切って燃え尽きたから、それで満足だ」と選手生活から足を洗う決意を述べますけど、それならその前に「前のレースでは最後に力が残ったのが悔しい」という台詞をもっと前に出しておくべき。「全力を出し切る」「燃え尽きる」「それで満足」という部分を前提にしないと、結局オリンピックに出場できなかった主人公が負け犬に見えかねない。結局この映画の結末って『ロッキー』と同じでしょ。「微差で負けたけど、結果はさて置き俺は満足しているぞ。俺はやれる、負け犬じゃないってことを立証したんだ。引退したって悔いはない。エイドリアーン!!」というわけ。

 ボート選手の話だから当たり前だが、レースシーンはなかなか迫力があります。僕はボートという地味なスポーツが、これほど過酷なものだとは思ってもみませんでした。鋭利な刃物が水面を切り裂いて行くようなイメージは新鮮。主人公がボートの魅力を「スピードだ」と言う気持ちがわかるような気がします。


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