Kids Return

1996/08/24 テアトル新宿
積極的に為すことも反抗することもなく、日常に流されて行く少年たち。
才能を食いつぶす悪魔のような先輩の存在が出色。by K. Hattori


 なんとなく自分の今いる場所に居心地の悪さを感じる。自分が本来やることは、もっと他にあるんじゃないだろうかと思う。自分は他人の決めたちっぽけな鋳型の中に押し殺されてしまうような気がしながら、それでいて自分自身が積極的に為そうとする何物かを見つけられず、だらだらと日常の中に埋没して行く時間。自分はきっと何者かであるはずだと漠然と思い、その一方で何者でもあり得ない自分自身の実像と葛藤する。それは結局「弱さ」ということなのかもしれないし、単なるモラトリアムなのかもしれない。

 人生の分岐路にあって、自ら次の一歩を決められないまま流されて行ってしまう主人公たちの姿が、やけにリアルに描かれている映画だ。恐らく北野武監督の映画としては、過去のどんな映画よりバランスの取れた作品だろう。各エピソードの配分も十分。キャラクターも立っている。芝居もこなれている。映画の中での時間進行も工夫が見られるし、脇の人物のエピソードが物語に厚味を出している。

 挫折する青春の物語だが、あまり悲壮感がない。挫折に至る道すら、主人公たちは自ら選び取ったものではなく、たまたまそこにいて、たまたま前途が閉ざされたから、じゃぁ次はどうしましょうか、という感じなのだ。彼らは「自分のやりたいこと」をまだ探している真っ最中なのだ。だからこそ「俺たちもう終わっちゃったのかなぁ」に対する答えは「まだ何も始まっちゃいない」になるのだろう。もちろん、その間にも貴重な時間だけは浪費されていくわけで、主人公たちと同じような年齢を通り過ぎてきた僕としては「そろそろ自分の将来をちゃんと考えた方がいいんじゃないかなぁ」なんてお節介なことを考えてしまう。しかし「まだ何も始まってない」ということに大きくうなずけるのが、まだまだ若いってことなんだよね、きっと。

 僕がこの映画で一番すごいと思ったのは、主人公のひとりをそそのかして駄目にしてしまう、ボクシングジムの先輩ボクサーの存在だ。こういう人って確かにいそうなんだけど、ここまでそのキャラクターを掘り下げた映画って他にあるでしょうか。親切そうな顔して近づいて、甘い言葉で相手の才能の芽を摘んでしまう。本人が意識してやっているのか、無意識にやっているのかはわからないけど見事だよなぁ。

 この先輩がジムの帰りに主人公を飲み屋に誘って、ビール飲ませて料理食わせて曰く「ボクシングでは少し肉つけて試合前に絞った方がいいんだ」「飲み食いしても吐けばいいんだよ。舌は味を覚えているんだから」「弱いやつがビール飲まなかったぐらいで強くなるかよ。強いやつは何やったって強いし、弱いやつは何やったって弱いんだよ」。挙げ句の果てに、体重が落ちない主人公に下剤飲ませちゃう。悪魔の囁きが服着て歩いているようなものです。こういう怪しい人物をはねのける強さがないと、才能があっても駄目なんだろうなぁ。


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