フリッパー

1996/08/15 丸の内ピカデリー2
「イルカは友達」「地球環境を大切に」というメッセージがプンプン匂う。
イライジャ・ウッドも嫌味。脚本も演出も編集も二流。by K. Hattori


 お話がどうしようもなく陳腐で、全体に使い古された手垢のにおいがする映画。都会育ちのこまっしゃくれた少年(イライジャ・ウッド)が、小さな島で漁師をしている叔父(ポール・ホーガン)のもとで夏休みを過ごすことになる。はじめは叔父に反発していた少年だが、ハリケーンの襲来で自然の猛々しさに触れ、イルカのフリッパーと出会い、薄汚い大人たちとは一味違う叔父の態度にも共感し、徐々に心を開いてゆく。海辺で花開く淡い恋。海を汚しイルカを殺そうとする悪党たちとの対決。理解なき社会制度に引き裂かれるフリッパーとの友情。どれをとっても、古馴染みの素材ばかり。

 設定にもよくわからない点が多い。イルカ殺しの悪役は観光客相手のクルーザーを持つ船長だが、その一方でドラム缶詰の劇物を密かに海洋に投棄している。まがりなりにも漁師の端くれであろうこの男が、なんでまた自分の首を絞めるようなことをするのだろう。まぁこれは目先の利益にしか目が届いていないのだ、と理解することも出来るけど……。ドラム缶の不法投棄を発見した少年を殺そうとするのは、なんでだぁ。イライジャ・ウッドを殺しても、ポール・ホーガンが沿岸警備隊に連絡に行っているんだから、遅かれ早かれドラム缶は発見されるはず。こんな行動に意味はないよ。

 イルカを飼うことは禁止だが、イルカを銃で撃ち殺したり、網で捕らえて銛で突き殺すのは法に触れないという法律も理解に苦しむなぁ。もっと言えば、「イルカを海に放せ」という命令もわからん。主人公の少年がフリッパーを捕まえてきて、網で囲ってペットとして飼育しているわけではない。フリッパーは自分の意志で海からやってきて、そこに留まっているんだよね。それをわざわざ船に乗せて沖まで連れて行ったって、その気があればまた戻ってきてしまうよ。現に一度戻ってきたじゃないか。だから最後に少年とフリッパーが別れる場面は、ちっとも本当の別れにならないんだよね。

 映画のかなりの部分を占める水中シーンは見どころのひとつだけど、劇中のシーンとしてはあまりしっくりとしない。とりあえずたくさんフィルムを撮っておいて、適当につなぎました的なんだよね。主人公がフリッパーと最初に海の中で遊ぶ場面なんか、カットとカットがつながらないもんね。つながらないと言えば、いくつかの場面で同じシーンの中で水の色が変わったり、光線の具合がコロコロ変わったりするのも気になった。時間経過を表わすために夕景もたびたびインサートされるけれど、これも単に「これで1日が終わった」という記号として機能しているだけで、絵としての美しさに欠けるのはもったいない。

 僕は前からイライジャ・ウッドが嫌いだったんだけど、この映画のウッドはその中でも特にひどい。思春期を迎えて、役者としては難しいところだよね、中途半端で。登場していた役者の中では、ポール・ホーガンの恋人を演じたチェルシー・フィールドが素敵でした。


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