KIDS

1996/07/28 シネ・アミューズ ウェスト
少年少女たちの1日を細密にスケッチしたドキュメンタリータッチの力作。
写真家ラリー・クラークの映画監督デビュー作。by K. Hattori


 出てくる少年少女たちは皆まだ表情に幼さが残るハイティーン、ローティーン、あるいはまだティーンにすら達していない子供たちばかりなのに、この映画は日本で「R指定」の上映。少なくとも日本において、登場人物たちと同世代の子供たちはこの映画が観られない。扱っている内容が内容だから、アタマの硬い大人の中には「こんなもの子供に見せられない」と考える人もいるんだろうけど、映画に描かれている子供たちの姿がまぎれもなく現代を生きている子供たちの姿の一断面を伝えていることからも、この映画を日本の子供たちに観てもらえる道を残しておくべきではなかったか。

 映倫のレイティングの中身がどうなっているのかよく知らないが、最近の「R指定」連発に僕は首をかしげている。もっと弾力的に、例えば「保護者の同伴があれば鑑賞可」という部分を増やしてゆくべきではないだろうか。映画は同時代に観てこそ意味がある部分がある。同時代に観なければ、作者の意図が明確に伝わらないことがある。中学生以下の子供に対して「『KIDS』は高校生になってからビデオで見なさい」という事はたやすいが、それでこの映画の同時代性や今日的なメッセージがどのくらい伝わるのかは疑問だと思う。

 映画はアメリカの都市部に住む少年少女たちの丸1日の行動を、克明にスケッチしたもの。中心になるエピソードは、過去に一度だけ関係を持ったことのあるボーイフレンドからHIV感染した少女が、夕方から朝までかけて相手の少年を捜すというもの。この相手の少年というのが「女は処女に限る」という趣味の持ち主で、少女が少年を捜すのと平行して、この少年は今度また別の少女とセックスするために口説きまくる様子が描かれる。相手の女の子が12とか13なんだよね。「処女はいい。病気の心配がない」と言うけれど、自分がHIVキャリアなんだから世話はない。HIVに関しては少年たち同士の台詞の中に、「俺たちのまわりでエイズにかかったやつなんか見たことないぞ」「セックスでエイズはうつらない」「エイズが恐いなんてデマだ」というようなやり取りがあり、無知によってHIV感染が広がってゆく様子がよくわかります。

 中心になる夜の町をさまよう少女のエピソードは映画を物語として突き動かす役目を担っているだけで、魅力の大半はその他大勢の少年少女たちが繰り広げる言動の些末な部分にある。商店で万引きしたり、親の金を盗んだり、マリワナを吸ったり、友人の家でたむろしたり、公園で突然乱闘になったり、夜のプールで泳いだり。こうした行動の端々に時折現れる、屈託のない子供っぽさや幼さが、彼らの言葉や行動とのギャップになっていてショッキングだったりする。彼らは「小さな大人」じゃなくて、まぎれもなく「子供たち」なんだ。

 僕はこの映画に登場する子供たちに親しみを感じないし、ロクでもない「クソガキ」だと思う。映画の後味は悪いが、映画としてはよくできているのが悔しいくらい。


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