丹下左膳
第1篇

1996/07/27 東京国立近代美術館フィルムセンター
大河内傳次郎主演・伊藤大輔監督のコンビによるご存知丹下左膳。
昭和8年に製作された伊藤大輔最初のトーキー作品。by K. Hattori



 大河内傳次郎と伊藤大輔がコンビを組んだ『丹下左膳』はサイレント時代から何本も撮られている。そもそも丹下左膳というキャラクターが映画に登場したのは、昭和3年の伊藤大輔監督作『新版大岡政談』が最初で、この映画での大河内は左膳と大岡越前のひとり二役だったそうな。時代が時代だから、これはもちろんサイレント映画。今回フィルムセンターで上映されたのは、同じ大河内・伊藤コンビが昭和8年に作ったトーキーによるリメイク版だ。フィルムセンターでは同じコンビの『忠治旅日記』を以前に観たことがあるが、それに比べるとフィルムの保管状態は素晴らしく、発色発声共に良好。惜しいのはフィルムの欠落がかなりあることで、中盤以降、大河内左膳が登場してからは話の筋が見えなくなってしまうほどズタズタになっている。

 『丹下左膳』と言えば隻眼隻手の剣戟ヒーローで、観客は当然のことながら大河内の壮絶な立ち回りを期待する。ところがこのフィルムからは、そうした立ち回り場面がすっぱりと抜け落ちているのだ。映画は伊賀柳生家に伝わる名器・こけ猿の壷を巡る物語。序盤で何やら埋蔵金の話や町道場の後継者争いの話が一通り紹介された後、いよいよ丹下左膳の登場となる。ところがこの丹下左膳、登場したと思ったらすぐに消えてしまい、いつの間にか江戸の町が火事になり、左膳と柳生源三郎が通りでにらみ合い、少女が夜の町に飛び出していった所で映画が終わってしまう。なんじゃこりゃ。失われたフィルムはどこに行ったんだろうか。気になるなぁ。

 伊藤大輔は「イドウダイスキ」の異名を持つ映画監督で、この映画でも冒頭からクレーンを使った移動撮影。夜の宿場町の風景をカメラがなめるように写し撮ってゆき、徳川時代の風俗を丹念に描写しながら柳生源三郎の投宿する本陣までカメラが移動してゆく。伊藤監督は時代考証にもうるさい人だから、町並みのセットにも細かい所まで配慮が行き届いている。映し出される人々の服装や仕種、小道具のひとつひとつに至るまで、そうした細やかな監督の神経が行き届いているのでしょうね。

 左膳登場直前に挿入される、壷を持って逃げ回るチョビ安の描写は、路地を走り回る少年の姿に「泥棒だ!」とか「捕まえてくれ!」という声をかぶせ、短いショットを次々と重ねたモンタージュ。こういうのを見ると、この頃の時代劇がじつはものすごくモダンな感覚を持った監督たちによって作られていることがよくわかる。映画の手法がまだ確立される前、自分たちの手で新しい技術や表現を編みだそうと切磋琢磨しているエネルギッシュな活動屋の情熱のようなものが、半世紀以上後の観客にも伝わってくるようだった。

 映画の中では、後年黒澤の『酔いどれ天使』で三船とペンキまみれの格闘をすることになる山本禮三郎の姿が見られたのが面白かった。黒澤映画時代のような凄みはないが、登場しただけで画面が引き締まるのだから、やはり得難いタレントと言うべきだろう。


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