アンダーグラウンド

1996/06/19 シネマライズ渋谷
ユーゴスラビアの現代史をドタバタ喜劇に仕上げた問題作。
不謹慎と言うなかれ。これはユーゴ出身監督の泣き笑いだ。by K. Hattori


 猛烈に騒々しい映画という印象が残る。冒頭から巻末までけたたましく鳴り響く音楽と、主人公たちのあからさまな躁状態が、映画全体を巨大なミキサーのようにかき混ぜる。ユーゴ出身のエミール・クストリッツァ監督が、祖国のたどった半世紀に渡る悲劇の歴史を一風変わった視点から描いているのだが、映画が浮かれて騒いでいる様子は、お堅い良識派の人達には「不謹慎だ」と言われそう。確かにこれはふざけている。馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 だが、何より馬鹿馬鹿しいのは、物語の背景になっている歴史の事実そのものだ。クストリッツァはこの物語の登場人物たちを笑うことで、歴史の歯車の暴走ぶりを笑っている。悲劇の極みは喜劇に通じる。旧ユーゴのたどった道は、余りにも悲劇的で絶望的だから、もはや涙でこれを他人に伝えるすべはないのだ。この映画は喜劇だが、その笑い顔は苦しさに歪んでいる。巨大な泣き笑いだ。

 この映画を単なる反戦平和を訴えた映画だと決め付けるのは単純すぎる。僕はむしろ、爆弾が空から降り注ぐ中でそれまでと何ら変わらぬ男女の痴態や喜怒哀楽、日常の諸々の事柄が進行して行く部分に言い知れぬリアリティを感じた。戦争だからとメソメソしている人間の方が例外で、ある者はこれを機に一儲けを企み、ある者は女を口説き、ある者は強者に媚びなびく。戦争で家族が死のうとも、避難のために穴蔵に閉じ込められようとも、その中で人間は普段と同じ生活を繰り返す。この映画は特異な状況を写し絵にして、戦争の中の人間を凝縮して見せることに成功しているんじゃないだろうか。

 映画は第二次大戦にユーゴが巻き込まれる直前から始まり、ナチの侵攻、連合軍の反撃、チトー政権下の平和、チトーの死、ユーゴ分裂と内乱を、駆け足で描き出す。ユーゴの現代史を、この映画ほど辛辣に、しかも平明に解説した映画が他にあるだろうか。アンダーグラウンドで暮らす住人たちは一種の幽霊だが、歴史のうねりの中で常に「当事者」として日々の価値観の中に流される人間と違い、「幽霊」は常にひとところに留まり続ける。ドイツの精神病院に収容された動物園の飼育係や、内乱に身を投じる主人公の姿は、そのあまりの変わらなさぶりが滑稽ですらある。

 この映画は風刺の効いたファンタジーで、地下の住人たちもファンタジーの住人だ。常識的に考えて、何十年も地下の穴蔵で暮らし続けられるわけがないもんね。彼らは幽霊、彼らは虚像、彼らは現実の影法師。でもそんな彼らが物語の中で、突然生き生きとし始める瞬間がある。我々の生きている現実の世界と、彼らの住む世界が何ヶ所かで急接近し、相互に行き来できる大きな穴がぽっかりと口を開く瞬間を何度か感じた。それがこの映画の醍醐味だ。


ホームページ
ホームページへ