上海ルージュ

1996/05/18 シャンテ・シネ3
中国版『ビリー・バスゲイト』みたいなギャング映画。
ニコール・キッドマンに相当するのはコン・リー。by K. Hattori


 1930年代の上海を舞台にしたギャング映画だけど、これはそのままアメリカ映画に翻案できそうな物語ですね。何と言っても、物語の中心にコン・リー演ずるナイトクラブの歌手がいるのが面白い。そのまま舞台を30年代のニューヨークにして、ナイトクラブをブロードウェイにすれば、結構豪華なミュージカル映画ができそうじゃないですか。

 とは言え、この映画自体がそもそもアメリカ映画からの影響で作られていることは明白で、例えば物語の原型を『ビリー・バスゲイト』あたりだと想定することも簡単なんだよね。ギャングのボス・その情婦・事件の目撃者となる少年、という図式が全く同じでしょ。『ビリー・バスゲイト』はギャング映画としては地味だったど、半ば当事者であり半ば部外者である人間の視点から物語を作るという手法が面白かった映画です。『上海ルージュ』には他にも階段の上での銃撃場面など、ややステレオタイプなギャング映画の引用が多く見られるんだよね。

 この映画はギャング映画としてのオリジナルがどこにも見られない。ギャングの優雅な生活の裏側にあるひやりとするような残酷さや、身震いするような冷酷さがうまく映画の中でかみ合っていない。もちろんこれは「もともとそういう映画じゃない」という理由に拠るところも大で、演出の主眼は流麗な映像の世界に向けられているようだ。

 コン・リーが舞台で歌う場面の輝かしさは息を飲むほどだし、ただならぬ雰囲気に目を覚ました少年が叔父の死を知る場面もすごかった。こうした映像の凄みが、映画の後半にはほとんど見られないのが残念。光線や照明の効果は、無人島の隠れ家じゃ発揮しようがないんでしょうか。物語の方も後半になるとちょっと単調。逃亡生活の中で歌手と少年が少しずつ心を通わせるといった月並みなエピソードだけで、閉ざされた環境で状況が刻々と煮詰まって行く緊張感が皆無なのだ。

 美しい歌手のわがままさや意地悪ぶり、思慮分別のない行動などもあり、彼女に同情したり感情移入したりするのは難しい。といって彼女の世話をする少年も無愛想でかわいげがなく、物語の中にどうも入って行きづらい。歌手の人物造形は後半の少女のエピソードもあって、最終的にはそれなりに納得が行かないわけではないのだが、他の人物についての説明はほとんどなくて、描かれている世界の輪郭がつかみにくかったのも映画にのれない理由だ。

 最後まで観ていても飽きることはないし、それなりに面白い映画だとは思うんだけど、ギャングと歌手の物語にしては娯楽性に乏しいのが個人的には残念。銃撃や活劇を直接描かないなど、これが監督の手法なのだということはよくわかるのだが、アメリカ映画慣れした目には解せない部分が多い。


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