7月7日、晴れ

1996/05/12 日劇東宝
観月ありさを世界的なスーパースターに見せる努力がないまま、
お話だけ進めてしまった嘘に満ちた映画。by K. Hattori


 あんこがポッチリしか入っていない鯛焼きを、それと知らずに食べさせられたような味気なさ。物語は芸能界のトップアイドルと普通のサラリーマンの恋物語だが、こうした信じられないようなお話を観客に信じさせるのが映画の力なのに、この映画は見終わってもどこか「嘘だよね」という醒めた感覚から逃れられない恨みがある。映画に描かれた物語は確かに作り事で嘘なんだけど、物語の中に嘘があるのは客に対する裏切りなんだ。この映画の中の嘘はたくさんあるけど、観客に許される嘘とそうでない嘘との間にけじめがなさすぎる。

 許せる嘘は、例えばヒロインの望月ひなたがマネージャーの操り人形でメディアに登場するときは自分の意志がないとか、撮影隊が山奥までヘリをチャーターして大移動するとか、あれだけいい娘なのに友達がひとりもいないとか、今までもどこかで見たようなステレオタイプなお膳立ての部分。こんなものは嘘だって一向に構わない。テレビ局の連中が作った映画なんだから、作っている方だってこうした嘘を楽しんで作っているはず。許せない嘘はもっと別の部分にあって、例えば主人公のサラリーマンと望月ひなたが恋を育てる部分が完全に欠落しているとか、自動車の発表会でスペシャルゲストとして望月ひなたを舞台に引っ張り上げる計画を数人しか知らなかったはずなのに土壇場になると主人公以外は全員ぐるになるとか、そんな部分。

 中でも一番許せないのは「歌手」であり「世界的なアーティスト」であるはずのヒロインが、映画の中で一度たりとも自分の声で歌わないこと。ひなたを演じた観月ありさの声が世界に通用するだけの説得力を持ちうるかどうかは別としても、これはやっぱり観月に本当に歌わせなきゃずるい。もし彼女の歌唱力が取るに足らないものだったとしても、物語の中でそれが「世界的なトップスター」だと言われれば、観客はそれを信じたふりをするだろう。歌わない歌手にはスターとしての輝きが感じられない。それがこの映画を最後まで嘘のままにしてしまった。

 萩原聖人演ずる自動車会社のサラリーマン、観月ありさ演ずるトップアイドル望月ひなた、ふたりの間を裂こうとするマネージャー、ひなたを企業宣伝に使おうと躍起になる伊武雅刀。どの登場人物も薄っぺらで人間味に欠けるのが残念。僕は広告屋が生業だから、営業一筋のサラリーマンが宣伝部長の席をあてがわれて閑職だ左遷だと感じる悲哀がよくわかったんだけど、この映画ではそれも感じられませんね。ひなたのマネージャーも定石通りの意地悪ぶりから一歩も踏み出せていない。人物にもう少し厚みがあれば、この映画ももう少し面白くなっただろうに。ひなたがラジオ番組中言葉に詰まる場面が感動的だっただけに、全体のしまりのなさは残念だ。


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