潜望鏡を上げろ

1996/04/17 日本教育会館・一ツ橋ホール(試写会)
落ちこぼれの潜水艦乗りたちが型破り艦長のもとで成長する、
海軍版『メジャーリーグ』。by K. Hattori


 硬直した組織の気風に馴染めず、十分な実力を備えながらふてくされていた潜水艦副長に、突然降って湧いた艦長への就任。彼があてがわれたのは第二次大戦の遺物のようなオンボロのディーゼル潜水艦と、海軍中から集められた問題児ばかりだった……。使い古された軍隊ものの状況設定です。当然主人公はこのオンボロだったチームを再生させ、最新鋭の原子力潜水艦に匹敵する力を発揮しなければならない。監督は『メジャーリーグ』のデイビッド・S・ワード。野球チームを潜水艦に置き換えると、この映画が出来上がるとも言えましょう。

 この手の映画はパターンが決まっていて、全体をだいたい4つの段階に分けることができる。序盤では、何らかの事情でくせ者ばかりが揃ったオンボロチームが編成され、チームワークも何もないボロボロの状態をアピールする。次にベテランがチームをまとめあげ、恥も外聞もない奇抜な作戦で勝ち進み、チーム全員が一丸となって行く課程。このままでは盛り上がりに欠けるので、第3段階でこうした奇手奇策が行き詰まり、チームは低迷の時期を迎える。そして最後のクライマックス。「こうなったら正攻法だ!」と開き直った連中が、思わぬ底力を発揮して勝利をもぎ取ってハッピーエンド。

 途中で家族や恋人たちとの交流やいさかい、チームメイト同士の反目とそれを乗り越えた友情などが織り込まれるのも常。チームがどん底になるきっかけは、主人公の慢心かケガか家族の事故か病気か、まぁいくつかの決まり切った要素の組み合わせで物語の枠組みは出来上がる。それ以上の部分は、登場するキャラクターの設定や役者の魅力。『メジャーリーグ』はこうした定石を押さえた傑作でした。

 ところが今回の『潜望鏡を上げろ』は、同じ監督が作ったとは思えないほどの凡作。主人公以外の登場人物たちの中に、中軸となるキャラクターが存在しないのは痛かった。本来なら堅物の副官か紅一点のエリート下士官エミリーあたりが主人公に反発し、双方が和解して行く課程などを描いてほしいところだ。一癖も二癖もある乗組員たちの魅力もうまく描き分けられていなかったが、どうやらこれは脚本にあったエピソードを大幅にカットした結果のようだ。

 物語がひたすら右肩上がりに進んで行くところも不可解。どこかに一波乱も二波乱もないとドラマにならないのにね。主人公に何かと意地悪をするグラハム提督が、なぜああまで主人公を恨むのかがわからないし、主人公を擁護するウィンスロー提督とのつばぜり合いなどももっと見てみたかった。

 映画の内容には欲求不満気味でしたが、エンドロールで流れるビレッジピープルの「イン・ザ・ネービー」は最高で、ナツメロ番組を見て喜ぶオヤジみたいにニヤニヤしてしまいました。本物だぜ本物!


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