女獄門帖
引き裂かれた尼僧

1996/03/31 大井武蔵野館
これがカルトムービーになるのも納得できる異常な傑作。
エピソード山盛りで最後まで全力疾走する演出の力技。by K. Hattori


 たかだか1時間やそこらの映画に、ここまでエピソードをぶち込んでしまうサービス過剰さが、坂道を転がり落ちるような急転直下な筋運びと、赤ペンキぶちまけたような血生臭さ、ポイントをつかんだ濃厚なエロスと相まって、めくるめく陶酔感を生み出している力作。男に虐げられ続けてきた女たちの怨念が、尼寺という俗世とは切り放された特殊空間の中で培養され増幅し、男に対する残忍な復讐にまで昇華される様子が、理屈抜きの力技で描写されて行く。物語の構成は緻密さを欠くし、はなはだしくバランスが悪いのだが、そのいびつさをはねのけてしまう個々の挿話のパワフルさに目を奪われ、2分前にあったことを1分後には忘れること必至。

 雇い主の無法さとあまりの残虐さに、廓を足抜けした女郎おみのが駆け込んだ縁切り寺。そこは男たちへの復讐に燃える尼僧たちが、火照る身体を女同士のセックスとアヘンの快楽に溺れさせながら、男たちを待ち受け残忍になぶり殺す、トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』もぶっとぶ地獄の尼寺だった。おみのも山道で自分を犯した狩人ふたりを突き殺し、どっぷりと両手を血にまみれさせる。殺された男たちの死体は、この尼寺で唯一の男性である気のふれた寺男が、斧でバラバラに解体し、大きな鉄鍋でぐつぐつ煮て食ってしまうのである。

 狭く入り組んだ寺の中を、身の危険を感じて逃げまどう男たち。奇声を上げながらそんな男たちを追いつめ、手にした得物で小突き回す女たちの表情は、復讐の喜びに上気している。捕らえられた男は、ある時は即座に殺され、ある時は哀れな性の愛玩物となる。この尼寺のただならぬ様子を察知して内部に潜入した代官所の隠密は、おみのの必至の願いも聞き届けられず一瞬にして殺されてしまう。おみのを抱いた布団の上で細かく痙攣する首なし死体。台所の水瓶の底で、十手をくわえて虚空を凝視する生首。

 安らぎと癒しの場であったはずの尼寺が、徐々に狂気に支配されたもうひとつの顔をあらわにし、やがて復讐と憎悪の炎に燃え上がるまでが、テンポ良く描かれて行く。おみのが庵主と女同士のセックスに溺れるシーンも、適度にエッチで適度に抑制が利いていてよろしい。この場面はおみのたっぷりとした肉体とスレンダーな庵主の肉体の絡み合いが、なんとも淫らで猥褻な感じなのだ。部屋の障子に夕日が大きく差し込む絵作りも印象的です。

 ラストで尼寺が炎上してしまう場面があるから、この映画は低予算に見えてもそれなりに贅沢なことをやっている。寺の本堂に安置されているミイラが、炎にあおられて突然立ち上がるところは、なぜか奇妙な感動がある。この日は大井武蔵野館で監督の牧口雄二さんと、印象的な少女小夜を演じた佐藤美鈴さんのあいさつがあり、感動もひとしおです。


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