明日を夢見て

1996/02/25 シネスイッチ銀座
『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督作品。
少女の夢は映画の夢に押しつぶされてしまう。by K. Hattori



 『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督が、『ニュー・シネマ・パラダイス』と同じく映画黄金時代のシチリアを舞台に描いた、「いや〜、映画ってほんっとに素晴らしいものですね」という映画。ただしこうした台詞をお気軽に口にできる映画評論家と違い、トルナトーレは映画を作る側なので、その思いはかなり屈折した表現にならざるを得ない。

 この映画にはいわゆる「映画に対する愛」があふれているんだけど、描かれているのは映画黄金時代で、それを作っているのは映画斜陽の時代に映画作家としてデビューした監督だから、そこに表現される「映画に対する愛」が強ければ強いほど、愛情は羨望や嫉妬に近いものになってしまう。本人の自伝的な要素が入っている『ニュー・シネマ・パラダイス』は、「過去との決別」というテーマが明確だったからそれも嫌らしくないんだけど、今回の『明日を夢見て』は映画に対する想いが純粋であればあるほど傷つかざるを得ないという悲惨な話で、観ているこちらまで気が滅入ってきた。

 主人公は人々の映画好きにつけ込んで金を巻き上げる詐欺師で、映画を商売のネタにしか考えていない男。彼は映画会社のスカウトマンを装い、オーディションと称してカメラを回しては人々から千五百リラの登録料を徴収する。彼は詐欺師だから、カメラの中にはまともなフィルムなんて最初から入っていない。それでも人々はこのオーディションに夢中になって、この男がやってくると村中が『風と共に去りぬ』だらけになってしまうあたりは愉快だし痛快。カメラの前でコチコチになる人や、逆に雄弁になる人がいたりするのも面白い。


 ところが、カメラの前に立つ人たちがあまりにも切実な気持ちを吐露し始めるあたりから、観てるのがだんだん辛くなってくる。映画に夢を託している彼らの気持ちは、決して実現されることがない。それを知っているのは主人公と観客だけだから、だんだん落ちつかない気持ちになってくるのだ。

 詐欺師が心のまっすぐな一人の少女に出会ったことから、最初は嘘だったことが本当になってしまう。これは古くから数々の映画に取り上げられてきた、定番のストーリー。でも、この映画ではそうはならない。映画の夢を語る主人公と生きようとした少女の気持ちは踏みにじられ、蹂躙され、汚されて二度と元に戻ることはない。彼女は精神を病んでしまう。

 狂気の中で映画の夢に浸る女と言えば、有名なのは『サンセット大通り』の女主人公。あの映画では舞台である屋敷の外側には、本当に映画の夢があるという前提があった。だが現代の映画人トルナトーレは、そうした夢を映画の中に残しておかない。映画はテレビにその座を奪われ、静かに幕を閉じる。


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