デッドマン

1996/02/25 シャンテ・シネ2
主演ジョニー・デップ、監督ジム・ジャームッシュの異色ウェスタン。
モノクロームの映像に黒々と死の影が付きまとう。by K. Hattoriby K. Hattori


 どういうわけか印象がうまくまとまらない映画。西部開拓時代、東部から西部の町にやってきた気弱な会計士が、どういうわけだか人殺しのお尋ね者になってしまうという物語。主演は『エド・ウッド』のジョニー・ディップだけど、エドが陽気でエネルギッシュな男だったのに対して、この映画の主人公ウィリアム・ブレイクは鉛弾を心臓の横に埋めたまま青白い顔でフラフラしている「死んだ男」だから、その印象は大違い。

 主人公の名が画家としても有名なイギリスの詩人と同じってのがひとつのキーになっているのでしょう。画家としてのブレイクはキリスト教的な世界を独特な水彩画で描いた作品が多く残っていますが、水彩画の宿命で年々作品が退色し、いずれは完全に色が消えてなくなるのだそうです。そんな予備知識を持って主人公を見ると、登場したとたんに死を運命づけられ、徐々にこの世から消えて行く男の名としてこれほど相応しいものはない。

 お尋ね者になった主人公を助け、共に旅をする仲間になるのがノーボディ(誰もいない)という名のインディアンですが、この男は快活で愉快でちょっぴり謎めいた男。物語の中心になるのは、主人公とこのインディアンともうひとり、執拗に主人公の追跡を続ける賞金稼ぎの殺し屋。

 ランス・ヘンリクセン演ずるこの無口な殺し屋が、文字どおり「人をくった男」なんですね。両親を犯して殺して煮て食ったという風評はいかにも伝説くさいと思わせておいて、そのじつ「やっぱり本当だった」というところが笑っちゃう。旅の相棒となった賞金稼ぎ仲間の一人を、焼いて食っちまうんだから恐れ入る。食われた男の腕が観客に向かって「おいでおいで」をするシーンは、黒い笑いが館内を包んだ。グロテスクでかっちょい〜い。他人を食い殺してでも前へ前へと進んで行くバイタリティーと生命力は、主人公の対極にある人物像でしょう。

 生命力希薄な主人公、自然体のインディアン、エネルギッシュな殺し屋という三人の男が登場しますが、この中には「よき家庭人」というのがいない。物語にはほとんど女性が登場しない、完全に男ばかりの映画です。それでも汗くさくも血生臭くもならないのは、端正なモノクロームの映像の力でしょうか。音楽も素敵でした。

 西部劇としては道具立てが全部揃っているのに、あえて活劇にしない。それなのに登場人物が全員死んでしまうという、まことに情けない展開。この手の映画は分析しようと思えばいくらでも分析できそうなんだけど、僕はそんな面倒くさいことはしない。どうせ抹香くさいテーマに決まっている。それより気になるのは、人間の頭ってのは軽く踏んだぐらいで、あんなに簡単につぶれるものなんだろうか?


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