血煙高田馬場
(決闘高田馬場)

1995/12/02 大井武蔵野館
活動屋マキノ正博が1週間で撮り上げた時代劇の傑作。
阪妻演ずる安兵衛が高田馬場まで走る名場面! by K. Hattori



 こういう映画を「講談調の明朗時代劇」と言うのでしょうか。単純明快・明朗快活・痛快無比。血沸き肉躍る剣戟芝居。コンパクトにまとめられた上映時間の中には必要不可欠かつ必要最小限度のエピソードがきちんと盛り込まれ、緩急自在な演出テンポも観客を心地よい陶酔感に引き込む。大胆にして繊細な筋はこびで、物語はラストまで電車道一直線。主役中山安兵衛を演じた阪東妻三郎の男っぽい魅力が最後の立ち回りで炸裂するまで、一瞬たりとも目が離せない娯楽映画の決定版。

 中山安兵衛の高田馬場仇討ちは、講談講釈の類でさんざん語りつくされ、エピソード細部の組立まですっかり出来上がっているのであろうと推察する。僕はあいにくと講談や講釈とは無縁の世代なのでよくわからないが、この映画が冒頭の十数分で主人公の安兵衛とその取り巻きの男たち、伯父の菅野六郎左衛門との関係をすっかり説明しきってしまうあたりは見事だと思う。話芸としての物語と映画とでは語り口調が違ってくるわけだから、これは作り手側に相当な工夫があったはずだ。

 この後長屋で六郎左衛門が安兵衛に説教をするあたりの話の運びかたもいい。安兵衛が六郎左衛門の小言を黙って受け流しているのかと思えばさにあらず、伯父の小言は一言一句残さずいちいち安兵衛の胸に突き刺さる。伯父が立ち去った後、伯父の台詞を一言ずつ反芻し涙ぐむ安兵衛。それでも安兵衛は自分の生活を変えられない。豪放磊落なのは安兵衛の欠点であり、同時に魅力でもある。相変わらずとりまきたちと街に繰り出し、酒を飲み歩く日々。それでも安兵衛の心根は腐っちゃいない。武士の魂である刀には、ひとつの曇りも生じてはおらぬ。

 例年行われている剣術試合で、六郎左衛門は辛くも村上庄左衛門を打ち負かした。後に遺恨を残さぬはずの御前試合だが、逆恨みした村上は六郎左衛門に果たし状をたたきつける。村上は一門郎党数にものを言わせた布陣で、何がなんでも六郎左衛門を討ち取ろうと画策する。

 ここからが映画のクライマックス。最後の頼みと安兵衛の長屋を訪ねた六郎左衛門だったが、我らが主人公安兵衛は、呼ばれた酒でしたたかに酔って留守。やむを得ずひとり決闘の場に向かう六郎左衛門。入れ違いに長屋に戻った安兵衛は伯父からの手紙を一読するや、一目散に高田馬場へと走り出す。とにかく走る、走る、走る、走る。韋駄天走りに走りに走り、八丁堀の長屋から高田馬場までひとっとび。無数の短いカットをスピーディーにつなげたこのシーンは、安兵衛の焦燥感をうまく表現した名場面。走っても走ってもなかなかたどりつかない高田馬場。ここから最後の立ち回りまでは息をも付かせぬ緊張感で、僕は充実した満足感に満たされました。


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