伊賀の水月
(剣雲三十六騎)

1995/12/02 大井武蔵野館
剣豪荒木又右衛門と言えば決闘鍵屋の辻の三十六人斬り。
阪妻が史実に近い人間荒木を演じる。by K. Hattori



 剣戟スター坂東妻三郎が、剣豪荒木又右衛門を演じた時代劇。荒木又右衛門と言えば、ご存知決闘鍵屋の辻の三十六番斬りですが、同じ題材は時代劇の古典中の古典として、多くのスターに演じられ、何度も映画になっています。又右衛門がいくら腕の立つ男とはいえ、旗本の剣客三十余名をひとりで切り倒すことなど実際は不可能でしょう。当然これは史実とはかなり離れる、伝説化された虚像です。荒木又右衛門の実像については、以前仲代達矢主演でNHKがテレビドラマを作った物が史実に近いのかしら。いずれにせよ三十六人はなんぼなんでも大げさな話で、又右衛門の超人ぶりを誇張するあまり作られた一種の演出と割り切って考えるしかありません。

 『伊賀の水月』はどちらかというとリアルに作ろうとしている時代劇で、並みいる敵をばっさばっさと斬り倒すような明朗さには欠けています。ちゃんばらより人間ドラマの方に重きを置いた構成になっていて、バンツマの颯爽とした殺陣を期待しているとかなりはぐらかされる。立ち回りの見せ場は、又右衛門が道場で殿様に稽古を付けるところが一番見応えがある。殿様の振り回すヤリをひらりひらりとかわしながら、最後は身体の正面ではっしと両手で挟み込む。「真剣白刃取りにございます」「うむ、見事じゃ」。力の入ったこの場面も、しょせんは稽古場風景。見事な殺陣も見せ場を作るための見せ場に過ず、むしろ全体の写実描写に比べると、この場面はかなり浮いていると感じました。

 この場面よりその直後、又右衛門が殿様に剣術の奥義を授ける場面の方が興味深かった。奥義書を手渡すときは又右衛門が師匠、殿様が弟子だから、又右衛門の方が上座に座っている。殿様は深々と又右衛門に対して頭を下げるが、この儀式が終わるとまた殿様と家臣の関係に戻って殿様が上座に着く。この映画は全編こうした細かい描写に神経が行き届いていて、封建時代の雰囲気が出ているのです。又右衛門の物語も、封建時代なればこその悲劇として描かれている部分があって、本来私闘であるはずの仇討ちが旗本と大名の意地の張り合いに利用され、そこに個人としての武士が巻き込まれて行く様子が描かれているようです。

 これだけ写実に徹していながら、それでも最後は又右衛門に三十六人斬りをさせなければならなかったのは、観客の中にある「又右衛門=三十六人斬り」という先入観と常識に迎合した結果です。鍵屋の辻の乱闘場面も写実風の殺陣をつけているんだけれど、写実にすればするほど、あれだけの大人数に小人数が立ち向かう形勢不利がありありとわかってしまう。それでも仇討ちを成立させるために、相手の剣客は顔に似合わず全員でくの坊の斬られ役ばかりとなっている。又右衛門の強さも引き立ちません。


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