沓掛時次郎・遊侠一匹

1995/11/26 大井武蔵野館
繰り返しの鑑賞にたえる加藤泰の傑作股旅映画。
芝居のメリハリと独自の美意識にたっぷり酔える。by K. Hattori



 僕はこの映画で加藤泰という監督を知り、長谷川伸の世界に足を踏み入れました。この映画がなければ、僕は『瞼の母』も『関の弥太ッぺ』も観ようとしなかっただろうし、ひいてはこの日、大井武蔵野館で錦之助の映画を3本まとめて観ようという気になどならなかったでしょう。そういう意味では、僕にとって恩人のような映画です。

 最初に観たときは何の予備知識もなかったので、この映画のどの場面を観ても「なるほどこれが加藤泰なのか」とか「長谷川伸ってこういう世界なのか」と受け取っていた。でも、この映画ってちょっとヘンなところがあります。この映画で一番ヘンテコなのは物語の前半にくっついている渥美清のエピソードで、これだけが全体の物語から明らかに浮いているのですね。それに、この部分だけは妙に血生臭い。これはこの映画のためにつけ加えられたオリジナルのエピソードのようです。やたらと血糊が飛び散るのは、当時流行った残酷時代劇の影響でしょうか。これもまた、必ずしも加藤泰や長谷川伸的なものではないようです。

 幾分の予備知識ができてこの映画を再び観てみると、物語が本来持っている要素がくっきりと浮き上がって見えてきてびっくりしてしまいます。なんとシンプルな話でしょうか。これは壮絶な純愛映画ですね。前回観たときはさして感動もありませんでしたが、今回は目一杯感動させられてしまいました。

 互いの気持ちを口に出すことが許されない男と女。言葉には出さないが、二人の気持ちはしっかりと通じ合っている。互いの気持ちを折れたクシに託すことしかできない関係が、逆に濃厚なエロスをかもし出す。このあたりは最初に初めてこの映画を観たときより、一層主人公たちの気持ちが良くくみ取れて面白かった。まぁ2回観ているんだから、人物たちの気持ちがわかるのは当然だけど、気持ちの部分を表現するのにきちんとお芝居させている脚本と演出の細やかさには感心しました。こうしてきちんと作っているからこそ、何度観ても新鮮で面白い。

 この日は『瞼の母』『関の弥太ッぺ』『沓掛時次郎/遊侠一匹』と3本の長谷川伸原作・錦之助主演映画を観たが、どれもじつに胸が熱くなるいい映画だった。世間じゃイジメだ自殺だと騒いでいるが、そんなことは長谷川伸の世界から正反対の場所にあるお話だ。今からでも遅くない。文部省は全国の小学校と中学校にもれなく長谷川伸の芝居のビデオを配布し、子供たちに強制的に見せるべきである。まだあと10年ぐらいは、日本人の中にもこの手の映画に感動できる素地が残っているだろう。これらの映画に感動できるうちは、人間はまだまだなんとかやっていけるような気がする。そうそう、僕は図書館で長谷川伸の戯曲集を探すことにしよう。


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