緑はるかに

1995/11/03 フィルムセンター
井上梅次監督が日活で撮った国産コニカラー第1作映画。
浅丘ルリ子の映画デビュー作だそうです。by K. Hattori



 昭和30年に作られた日活初のカラー映画が復元され、フィルムセンターで上映されました。主演はまだ少女の浅丘ルリ子で、これがデビュー作だそうです。監督は『嵐を呼ぶ男』の井上梅次。井上監督は会場にも姿を見せていました。この映画は小西六写真工業が開発した国産カラー、コニカラーシステムを使った長編劇映画の第1作として資料的な意味があり、今回フィルムが復元されるまではモノクロのプリントしか残っていなかったという映画だそうです。今回多くの人の手を介してこの貴重な映画が甦ったわけですが、このような努力がなければ、古い映画はどんどん失われていってしまうのですね。

 昭和30年というと今からちょうど40年前に当たります。僕にはこの映画の内容より、あちこちに登場する40年前の東京の姿を面白く見ることが出来ました。中でも主人公のルリ子が隅田川の河口近くでオルゴールを探す場面は、個人的に極めて興味深い映像でした。川面を前に川下である左手に勝鬨橋、目の前に隅田川にそそぐ小さな川があり、河口に銀色のアーチ型の鉄橋がかかっている。これは僕の家のすぐ近所、佃島から川の対岸である新川や鉄砲州方面を眺めたところではないか。目の前に見える橋は南高橋、その下の川は亀島川。今は橋の手前に水門が出来てしまったため、映画のように対岸から橋の横面を眺めることは出来なくなっています。また当時は現役で活躍していた隅田川の渡し船もなくなり、今は味もそっけもない佃大橋が両地区をつないでいる。少し上流には、最近アマチュアバンドのメンバーが死のダイビングを行った中央大橋が開通しています。映画の中で主人公たちが立っていたあたりには、当時石川島播磨の工場があったはずですから、近くを歩くのは工場の労働者たちかもしれません。このあたり、今では大川端リバーシティという高層マンション群になっています。

 映画は時代を映す鏡です。主人公たちがお金を稼ぐ手段として、ガード下で靴磨きをするのも時代でしょう。主人公ルリ子と行動を共にするのは孤児院を脱走してきた孤児たちだし、彼らが暮らしているのは戦争で焼けたビルの地下室のようです。(黒澤の『悪い奴ほどよく眠る』にも、同じような隠れ家が出てきました。)悪人は外国のスパイですが、彼らが日常人目を忍ぶ仮の姿として選んだのはサーカスの一座。40年ぶりにこうした数々の古めかしいアイテムがスクリーンの上にカラーで生々しく甦ると、レトロというよりむしろキッチュでかわいらしい。映画の所々に挿入される小さなレビューシーンも、安普請のセットも、ひたすら愛らしくチャーミングなのでした。上映中観客の中からたびたび湧き上がった笑いは、冷笑や苦笑ではなく、何とはなしに温かいものだったように思います。


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