ハードネス

1995/10/22 文芸坐
テロリストがミスコン会場を乗っ取り美女たちを人質にとる。
女性が主役の異色『ダイ・ハード』映画。by K. Hattori



 『ダイハード』を強く意識したマネッコ映画。新味は主人公をミスコンの女性司会者にしたことと、人質たちがミスコンの出場者だということ。これはこれで結構なアイディアだと思うのだが、本当は主人公の女ブルース・ウィリスをミスコン出場者が演じてほしかった。この映画の主人公は、ちょっととうが立っているように見えてしまう。もっと思いきり若い女の子が、ワーキャー叫びながら並みいる敵をバタバタ倒して行けば面白かった。この設定で僕が期待するのは、スティーブン・セガールなき『沈黙の戦艦』なのだ。

 この映画がアメリカ映画としてどの程度の規模の作品なのかは知らないが、戦う女性の描き方に踏み込みが足りない。どうもアメリカ映画というのは、女性が直接相手に手をかけて殺すという描写を好まない傾向があるのではあるまいか。それを強く感じさせたのは『トゥルーライズ』という映画でジェイミー・リー・カーチスが階段からマシンガンを落っことす場面だったが、あの映画はそうしたお約束ごとをギャグにまで昇華していたのが偉い。『ハードネス』においては、主人公が敵にマシンガンを発射しようとするとなぜかトラブルが起こって銃が役に立たなくなるなど、不可解な歯がゆさが残る。

 主人公は格闘技の達人という設定なのだが、傭兵として人殺しの訓練を受けている男たちと互して戦えるだけの体力が彼女にあるようには到底見えない。それがこの映画の弱さだろう。武器があればこうした体力的な差というものは相当埋まるのだが、アメリカという国が銃社会であるにも関わらず、どうしてアメリカ製アクション映画に登場する女は発砲をためらうのだろうか。そのくせ爆弾は平気なんだから、このあたりは理解に苦しむところだ。表現上、何らかの規制コードでもあるのだろうか。

 女版『ダイハード』というコンセプトから出発した映画のはずなのに、主人公が銃を撃てないというハンディはあまりにも重い。結局その分をカラテで取り戻そうとした結果、女ブルース・ウィリスになるべき主人公が、女ジャン=クロード・ヴァンダムになってしまった。これで、ただでさえB級テイストの映画がC級にまでランクを落とすことになる。

 ホテルのフロアを上下しながらの追いかけっこ、外部の協力者との電話でのやりとり、人質の中の内通者など、本家『ダイハード』からの影響が露骨なのだが、どれもこれもアイディアを水で薄めたような情けない状態。テロリストたちも完全武装で犯行に及んだわりには、逃走に関するツメが甘すぎる。心拍と同期した起爆装置など、面白そうなアイディアがあるものの、アイディアが物語の中に生かし切れていない。真似を責めるつもりは毛頭ないが、オリジナルをしのぐ場面がひとつもなしでは情けない。


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