マディソン郡の橋

1995/07/13 パンテオン(試写会)
イーストウッドとストリープ主演でベストセラー小説を映画化。
イーストウッドの老人体型に興醒め。by K. Hattori



 ベストセラー小説の映画化。こういう映画は〈ネタバレ〉のわずらわしさを無視できるので、感想を書く方としては気が楽だ。とはいえ原作の読者にとっては、映画はほとんど原作に忠実な映画化だったと言えば充分でしょう。原作でイメージを広げていた読者にとって、この映画は物語の舞台になったアイオワ州の風景や印象的な屋根付きの橋の実物が見られるというだけでも、劇場に足を運ぶ理由になること請け合い。〈あの〉ローズマン・ブリッジが画面に登場するシーンなど、ちょっとした興奮状態ですらある。僕は結構ミーハーなのだ。

 原作はブームの最中に当時一瞬つき合っていた女性に薦められて読んだのだが、はっきり言って僕にはピンと来なかった。農家の主婦であるフランチェスカ・ジョンソンと、雑誌の契約カメラマンであるロバート・キンケイドがなぜ惹かれあったのか。そのあたりが、どうも僕にはしっくりと来ない。台所でただベチャクチャとおしゃべりしているばかりで、どこがロマンチックなんだろうと怪しんだものだ。これは映画化されてもそのままで、僕には怪訝な点として残されている。〈運命の出会い〉や〈本物の愛〉を、観客にそれと納得させるだけのパンチがない。「僕は君に出会うために今まで生きてきた」なんて陳腐な台詞は、今まで何度映画の中でささやかれてきたことだろう。

 僕が原作でホロリと来たのは、ロバートと別れたフランチェスカが、雨の中で夫の車のワイパー越しにロバートの車を見送る場面だった。これは泣ける。そして、この場面は映画でも屈指の名場面に仕上がっている。本来この場面は、その前段階であるロバートとフランチェスカの恋が観客に納得できるものでなければ共感できないはずなんだけど、こうした別れの場面というのは、観客の中にある過去の美しい恋愛の記憶経由で涙腺を刺激するのですね。僕は映画の登場人物たちにこれっぽっちも共感なんて憶えないけれど、それでもやはり泣いてしまった。いささか卑怯なテクニックではあるが、旨い。映画はこの後、フランチェスカのもとにロバートから荷物が届くところで再び観客の涙を搾り取る。旨すぎる。脚本家のリチャード・ラグラヴェニーズは『フィッシャー・キング』でも僕の涙腺の調節をおかしくした人物。なるほど、旨いはずです。

 主演のふたりはミスキャスティングではと心配したが、『激流』とはうって変わったメリル・ストリープの好演は意外。イーストウッドも時折みせる少年のような笑顔が〈最後のカウボーイ〉の片鱗を感じさせるが、残念なことに体型がもう老人なんだよなぁ。井戸で水浴びをするシーンのたるんだ裸体は見たくなかった。それでも2大スターの豪華な共演は見どころ充分。この秋必見の映画でしょう。


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