理由

1995/07/02 東劇
死刑廃止論者の大学教授が黒人青年を死刑から救う。
ローレンス・フィッシュバーンの存在感がすごい。by K. Hattori



 この映画には欠点がある。でも、その欠点は映画のプロットや謎解きに関わる部分なので、それを今明らかにすることはしない。抽象的な言い方だが、ラストのどんでん返しに物語としての意外性はあるものの、僕はあまり意外に受け取れなかった。終盤で事件が一応の決着を見せ、「ああ、やれやれ」と思わせた後ではじめてどんでん返しの妙味が利いてくるわけだが、この映画では観客の多くが最初の決着に「やれやれ」とは思えないだろう。要は、この第一の決着の付け方があまりにもスンナリ行き過ぎで、達成感に乏しいのだ。もう少しサスペンスを盛り上げて、カタルシスをともなった決着にしておいてくれれば、僕もまんまとだまされたに違いない。

 フロリダで起こった少女惨殺事件。逮捕された黒人青年は犯行を自供したものの、裁判では一転して犯行を否認。それでも裁判所と陪審員は自供を優先して、彼は死刑の判決を受ける。事件から8年後、大学で教鞭をとるショーン・コネリーのもとに、青年から自分の無罪を訴える手紙が届けられる。妻の後押しもあり、事件の調査をはじめるコネリー。調査でわかってきたのは、事件の捜査が意外にもひどくずさんだったという事実だった。獄中の青年は、警察の取り調べで過酷な拷問が行われたことをコネリーに訴える。事件の担当弁護士は、当時の裁判がいかに感情的な気分に支配されたものかを語る。ひょっとして、犯人は別にいるのではないか。黒人の青年は、事件解決のためのスケープゴードにされたのではないか。背後には根強い黒人差別があるのではないだろうか。では、真犯人はだれだろうか。

 黒人青年の冤罪を予感させる前半の展開はまことに結構。しかし、真犯人は誰かという肝心な点から物語が急展開しはじめると、映画はそれまでの正統派ミステリーから、突然ホラー映画っぽくなってしまう。真犯人とおぼしき男へと焦点が向かう展開には、もう一工夫必要だろう。あまりにもとってつけたような展開と、急転直下の事件解決には唖然。

 暴力警官を演じたローレンス・フィッシュバーンが最高。『ボーイズ’ン・ザ・フット』の父親役から注目していた黒人俳優だが、その後メキメキと頭角を現し、この映画ではついにスター俳優ショーン・コネリーと並んでクレジットされるにいたった。少ない登場でも印象を残す個性的な風貌と貫禄充分な存在感だが、この映画では全編出ずっぱり。彼の代表作のひとつになることだろう。

 連続殺人犯を演じたエド・ハリスが、彼の意外な側面をかいま見させて面白かった。事件解決に向けてコネリーにアドバイスを与えるという、『羊たちの沈黙』のレクター博士的な役柄だが、ハリスの切れ具合はレクターを越えている。この人を前回見たのは『ミルク・マネー』。あまりの落差にクラクラ。


ホームページ
ホームページへ