フォレスト・ガンプ
一期一会

1995/03/11 日劇東宝
無心に走っているうちに大金持になった男の寓話。
ファンタジー映画としてはよくできている。by K. Hattori


 オープニングとエンディングに現れる、1本の羽根をえんえん追いかける魔法のようなショットにびっくり。当然これもCGなんだろうけど、羽根の動きがじつに自然で、周囲の空気の重さまで感じられるぐらい滑らか。これみよがしのCGではなく、あくまでも物語のために最新技術を使うという映画のスタンスを、最も的確に表しているシーンだと思う。

 前評判がすごいような気がしていたのだが、よく考えると、〈評判〉だと思っていた部分のほとんどが〈広告宣伝〉だったことに気がついた。確かに素晴らしい映画だとは思うが、この映画の本当の凄さがわかるのは、やはり同時代を生きてきたアメリカ人だけだと思う。残念ながら、プレスリーもケネディもベトナム戦争も反戦運動も知らない、しかも日本人の僕には、この映画が描き観客に伝えようとしたものがピンと来ない。

 物語の構成はよくできている。動乱のアメリカ近代史を、時代のうねりに添うように生きたジェニーと、時代の大きな動きとはまるで無関係に、ただひたすら彼女を愛し続けるフォレスト。同時代のアメリカ人なら、必ずや彼らのうちどちらかに感情移入できる仕組みになっているのだろう。アメリカ人の精神がくぐり抜けた過去30年の歴史を、この映画はフォレストというひとりの男の目を通して描いている。無垢なる孤高の男フォレストの澄んだ目は、時代を真っ直ぐに見つめ、時代の荒波のただ中にある者自身には見えない何かを、そこに見いだしてしまうのだ。フォレストは、ジェニーを通してだけ、世界の〈今〉と接触を持っている。時の流れなど眼中にない彼の視線は、ある意味では神の視線に近い。

 フォレストが語る思い出話の中には、しばしば理不尽な暴力が登場する。ケネディ兄弟の暗殺、ファンに射殺されるジョン・レノン、暴漢に撃たれるレーガン。また、幼児に対する性的虐待や、麻薬問題、エイズ。ベトナム戦争、ブラック・パンサー党。アメリカの暗い一面ばかりだ。こうした醜く歪んだ世の中で、フォレストは何の屈託もなく真っ直ぐに生きている。暗い暴力が支配するこの映画では、彼だけが時代をはかる物差しになるのだ。

 自分を傷つけながら、ひたすら辛く苦しい生き方を選ぶジェニー。しかし、戦争で両足を失ったフォレストの上官が、フォレストとのつきあいを通じて人生に新しい意味を見いだしたように、ジェニーもまた、フォレストによって自分の暗い人生から浮かび上がることができる。フォレストはまさに聖なる愚者、現代のパーシバルなのだ。

 全編これでもかと観客に感動を強いるタイプの映画ではない。あくまでも淡々と、真っ正面から人間の強さと弱さ、優しさと残酷さを描いた映画だ。大感動はしないが、良い映画であることは確かだろう。


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