あっぱれ一番手柄
青春銭形平次

1995/01/22 大井武蔵野館
お茶の間のヒーロー銭形平次を市川崑がパロディ化した珍品だが、
パロディとしては毒が少なくあまり笑えないのは残念。by K. Hattori


 1953年の市川崑監督作。この映画、最新作の『四十七人の刺客』より50倍ぐらい面白い。いろんな部分で荒っぽいところはあるけれど、スピード感はあるしテンポもいい。みずみずしい若さとエネルギーに満ちている。

 同じ頃には長谷川一夫主演の『銭形平次』シリーズが大映で作られていたから、それとの対比でギャグがギャグとして成立している部分もあるのだろう。残念ながら、僕は長谷川の平次をほとんど観ていない。唯一、51年製作の森一生監督作『銭形平次』を観た程度。テレビシリーズで大川橋蔵の平次を見慣れた目から見ると、長谷川平次はずいぶん男っぽかった。橋蔵の平次を見ていると、若かった頃の平次が大谷友右衛門でもいいように思うけど、長谷川一夫と大友平次はオーバーラップしないものなぁ。そのギャップが、ギャグになるのでしょうが、僕にはよくわからん。

 渡哲也主演の「浮世雲」というテレビ・シリーズがあったのをご存じでしょうか。これは基本的に時代劇なのですが、時代考証をあえてぶち壊し、それをギャグにするところがありました。主人公が有名人に色紙とマジックをつきだしてサインをねだるとか、そんなシーンです。僕はこの手法にずいぶんとインパクトを受けましたが、なんと市川崑はそれを昭和28年にすでにやっていたのですねぇ。

 伊藤雄之助が神棚の火打ち石を探すと、なぜかライターが出てくるとか、アリバイだのサインだのという外来語が会話に飛び出すとか。そもそもオープニングがカーチェイスから始まるのにもびっくりした。現代の東京から江戸にさかのぼる手法は、川島雄三が『幕末太陽傳』でも使っていた手法だけれど、これはそのルーツかも知れないな。

 当時はチャンバラ映画が大量に作られていた時代だから、この映画もセットや衣装は全部本物(の時代劇と同じもの)なんだよね。この頃は戦前からのチャンバラ・スターと戦後売り出したスターがしのぎを削った時代劇の黄金時代。大河内傳次郎や坂東妻三郎ら、サイレント時代からの名優達も、まだまだスクリーンで刀を振り回していたんだな。そんな中で、二枚目なだけが取り柄で、本当は度胸がなくて弱虫なくせに、見栄っ張りで泣き虫の平次というのはかなり異色だったと思う。

 物語は時代劇のパロディーとしては、パロディーに徹し切れていないんだな。それが僕には物足りなかった。事件の展開自体はひどくオーソドックスであたりまえ。パロディーの対象になるのはあくまでも周辺の事象や細部に限られ、物語の中心部はおちょくりの対象にならない。これは物語自体をもっとハチャメチャにした方が、絶対面白いんだけどなぁ。


ホームページ
ホームページへ