トゥームストーン

1996/05/30
カート・ラッセル主演のワイアット・アープ伝。実録調です。
ドク・ホリデイ役のヴァル・キルマーが絶品。by K. Hattori
by K. Hattori



 主人公は伝説の保安官ワイアット・アープ。残念ながら往年の名作西部劇の数々と無縁の僕は、以前テレビでちらりと見た『荒野の決闘』や『OK牧場の決闘』もほとんど印象に残っておらず、全く予備知識も偏見もなくこのワイアット・アープとドク・ホリデイの友情物語を観ることになりました。

 監督は『ランボー/怒りの脱出』のジョージ・P・コスマトス。ランボー・シリーズは現代版西部劇みたいなものですから、これは痛快な活劇になるのではと期待しました。冒頭のモノクロ・サイレント映像で描かれる西部の街、硝煙もうもうたるガンアクションに期待は高まり、カウボーイズのメンバーが結婚式を襲うために教会前に勢揃いするオープニングには胸が高まりました。しかし、この無法者たちが花婿の足を打ち抜く場面の凄惨さには、僕が西部劇に対して持っていたカラリとしたアクションの臭いはなく、ただ残虐なだけ。ここで受けた血生臭い印象は、物語の進行と共に増幅されてゆくことになります。

 この映画で描かれているワイアット・アープ像に驚く人も多いと思います。なにしろ、夫婦仲はなにやら怪しげな雰囲気だわ、アープ婦人はアヘンチンキ中毒でフラフラしているわ、そもそもアープは保安官じゃなくて博打の胴元をしているわ、いざこざを避けて保安官に任命されるのを断るわ、さらには自分の兄が街の惨状にいても立ってもいられなくなって保安官になったのを非難するわ、なんなんでしょうねぇコレは。要するにこの映画で描かれているワイアット・アープは、勧善懲悪のヒーローとはほど遠い人物です。観客である僕は、彼に感情移入することができませんでした。

 対決する側のカウボーイズという無法者集団が血も涙もない極悪非道な犯罪組織であれば、それはそれでまた対するアープ陣営が浮き上がってくるのでしょうが、映画の冒頭で「カウボーイズこそ、アメリカ組織犯罪のルーツである」と大業に持ち上げた割には、この犯罪集団は街のチンピラに毛が生えたようなものにしか見えません。本来なら悪の魅力と恐怖の匂いをぷんぷん漂わせていなければならないはずのジョニー・リンゴも、言っては悪いが演じているマイケル・ビーンの小柄な身体には荷が重すぎ。ずいぶんと小粒の悪党になってしまっています。僕はむしろ、カウボーイズの一員からワープ側に寝返るマクマスターズを演じたマイケル・ルーカーとビーンは役を入れ替えた方がよかったと思いました。

 この映画の見どころは、その映像。いかにも西部劇タッチの騎乗シーンやガンアクション、いかがわしげなサルーンや売春宿、小さな西部の劇場とそこに集う荒っぽい客などの描写は見事です。画面を横切る地平線や、その上を疾走する馬の群、陽炎の立ち昇る乾燥した荒れ地、砂埃、などなど。「これが西部劇だ!」と思わせるスタイリッシュな映像に酔うことが(時々ですが)できるはずです。決闘の場所であるOKコラルに向かう男達の姿が映画では2度描かれますが、この場面のカッコ良さったらありません。劇中ではさらりと流れてしまうシーンですが、映画の末尾にアンコールのようにもう一度スクリーンに登場しますから期待して観てください。

 恐らく観客の同情をもっともひくのは、バル・キルマー演ずるドク・ホリデイでしょう。肺病やみで常に冷たい汗をうっすらと浮かべた青白い顔のドクは、この映画に登場する誰よりもヒロイック。『天国なんて待たせておけ。明日よりも、友を選んだ男たち』という予告編のコピーは、まさにドク・ホリデイのためにあるようなコピー。彼と恋人ケイトの関係も、映画に登場するどの男女関係よりうまく描けていたと思います。

 良くも悪くも『許されざる者』以降の西部劇。英雄ワイアット・アープの実像に迫り、伝説的なOK牧場の決闘の真相を描く野心作です。活劇の爽快さやカタルシスはありませんが、アメリカのひとつの歴史を描いた映画だと思います。好き嫌いは別れそう。

 僕ですか? 『ジェロニモ』もイマイチだったし、これでケビン・コスナーの『ワイアット・アープ』までもがつまらなかったらどうしようかと思っています。(予告編を観る限りではイヤな予感もする。)まぁいい。メル・ギブスンとジョディ・フォスター共演によるリチャード・ドナー監督作『マーベリック』が近日公開、女流ウェスタン『バッド・ガールズ』『クィック・アンド・デッド』も公開が控えている、ポール・ホーガンの『ライトニング・ジャック』はどう考えたって娯楽作だし……。今年はまだまだ西部劇が楽しめそうです。


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