トラスト・ミー

1993/05/10 飯田橋ギンレイホール
目の前にたったひとり信頼できる友がいればそれで救われる。
現代の孤独を優しい視線で描く佳作。by K. Hattori



 映画は少女のクローズアップから始まります。でも、この女の子ってすごくブス。厚化粧の上にさらに口紅を塗りたくり、横から口をはさむ両親の説教を聞こうともしない。この場面で少女が高校を中退したこと、妊娠していること、相手のボーイフレンドと結婚する気であることが告げられます。父親は少女を口汚くののしり、少女は父親に平手打ちの反撃。そのままプイと家を出てしまう。少女が出ていった直後に父親が卒倒。何とこのまま死んでしまうんだな。

 少女はBFを訪ねるんだけど、相手の少年は「結婚なんてとんでもない」と悪態をつく。少女は行き場を無くして唖然茫然。家には帰れないし、いざとなると親友と頼んだ友人もあてにならない。学校は中退、妊娠はしてる、家は追い出される、BFには振られる、助けてくれる友人もいない、お金はない。親切な女の人に巡り合ったと思ったら頭のおかしな人だし、ビールを買いに入った酒屋ではレイプされかかるし、やっとこさ逃げ出したら赤ん坊誘拐事件は目撃するし、まるでいいとこなし。この女の子がひとりの青年に出会ったことから物語が始まるのです。

 ところが出会った青年てのがまた問題あり。工場で検品の仕事をしていても癇癪を起こして退職。テレビ修理屋を紹介されても「テレビが嫌いだ」という理由で断わってしまう。家では潔癖症で横暴な父親と二人暮らし。気難しくて自信過剰なくせに、この父親には反抗できない。しかも手榴弾を常に持ち歩く自殺願望の持ち主ときてる。

 この二人が出会って、お互いに何となく一緒にいて、お互いがどんどん気になりはじめる。でも好きだとか、愛してるとか、そういうんじゃない。仲間とか、同志とか、そんな感じの信頼関係に結ばれたパートナーなんです。

 物語が進むにつれて少女がどんどんきれいになって行きます。映画が始まったときはすごくブスで嫌な女の子だったのに、映画の中盤からはこの少女を応援したくなること請け合いです。

 すごく素敵な映画でした。アメリカ映画だけど、なんだかアメリカ映画じゃないみたい。すごく乾いた感じです。以前『バグダット・カフェ』を観たときも同じような印象を持ったかも知れません。でも、それよりもっと乾いている。でも、パサパサした味気ない映画だと言うことではありませんよ。すごく大切にしたい、小さな宝石のような映画でした。

 切れ味の鋭い台詞あり、小気味よいユーモアあり。テンポもいいし、音楽の使い方も趣味がいい。監督と脚本はハル・ハートリー。覚えておくべき監督の名前がまたひとり増えました。



ホームページ
ホームページへ