パラダイス:神

2013/12/13 京橋テアトル試写室
敬虔なカトリック信者アンナ・マリアの悩みとは……。
『パラダイス』3部作の第2部。by K. Hattori

13121302  レントゲン技師のアンナ・マリアは、長期休暇を迎えてワクワクしている。妹テレサのように旅行を楽しみにしているわけではない。アンナ・マリアにとっての喜びは、この休みを利用して思う存分神への献身を果たせることなのだ。一抱えほどもあるマリア像を持って、移民たちが住む郊外の低所得者向けアパートを戸別訪問する。そこで神について語り、共に祈るのだ。神への祈りと賛美の日々の中で、彼女の生活はこれまでにないほど充実していた。だがそんな彼女の生活に、無遠慮な闖入者がやって来る。イスラム教徒のエジプト人である夫のナビルが、2年ぶりに戻って来たのだ。車椅子の障害者であるナビルは、アンナ・マリアの介護なしには日常生活を送ることもできない。彼女は妻としての義務から夫の世話をするが、ナビルが求めているのは夫婦としてのそれ以上の関係だった。アンナ・マリアはナビルとの生活から逃れるように、伝道奉仕を続けるのだが……。

 ウィルリヒ・ザイドル監督の『パラダイス』3部作の2作目で、本作の主人公アンナ・マリアは、1作目『パラダイス:愛』の主人公テレサの姉だ。2つの映画に内容的な関連性はないが、異国で若い黒人男性たちとのセックスに溺れていくテレサと、セックスを嫌悪して神との関わりの中に耽溺して行こうとするアンナ・マリアは、同じような境遇から生まれた同じコインの裏表でもある。似たような人間が、ある状況下ではテレサになり、別の状況ではアンナ・マリアになるわけだ。これはたぶん、3作目の『パラダイス:希望』に出てくるテレサの娘メラニーについても同じことが言えるのだろう。

 この2作目は体調が良かったのか悪かったのかウトウトしながら観ていて、アンナ・マリアの家に夫が家に戻ってきた事情などがよく飲み込めない。ただこうした人物のセッティングそのものは、物語の中に深刻な対立や葛藤を持ち込むための方便みたいなものだろう。この夫婦の対立関係は、同居しながら長い時間をかけて成立したって構わないのだ。しかしそれでは物語に緊張感が出ない。だからヒロインが悠々自適の毎日を過ごしている一人暮らしの家に、夫が2年ぶりに戻って来たという話をこしらえてあるわけだ。この夫婦と同じような対立と葛藤は、案外どこの夫婦も抱えているものなのではないだろうか。

 邦題は『パラダイス:神』になっているが、原題を直訳すれば『パラダイス:信仰』になる。この映画の皮肉なところは、主人公アンナ・マリアの信仰の対象が、必ずしも「神」ではないところにある。彼女は確かに神に対する信仰を語る。マリア像を持ち歩いて祈りを捧げ、キリスト像の前に跪いて自らの身体を鞭打つ。神はアンナ・マリアにとってアイドルだ。そう、アイドル、つまり偶像なのだ。彼女の敬虔さは現実逃避であり、自分の願望を満たしてくれる対象なのだ。自分にとって都合のいい神を求めるとき、それは偶像になる。

(原題:Paradies: Glaube)

Tweet
2014年2月22日(土)公開予定 ユーロスペース
配給:ユーロスペース 宣伝:テレザ
2012年|1時間53分|オーストリア、ドイツ、フランス|カラー|1:1.85|5.1ch
関連ホームページ:http://www.paradise3.jp
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
関連商品:商品タイトル
ホームページ
ホームページへ