第七の封印

2013/06/27 京橋テアトル試写室
十字軍から帰還した騎士が黒マントの死とチェス勝負。
暗い話だが随所にユーモアも。by K. Hattori

13062901  十字軍に参加して10年の不毛な日々を時を過ごした騎士アントーニウスが、忠実な従者ヨンスを連れて故郷に帰還する。だがそこではペストが蔓延し、人々は聖書に書かれた世の終わりが近いことを感じていた。世界には死が満ちている。だからアントーニウスは、自分の前に現れた黒マントの男が「わたしは死だ」と名乗っても、「やはりそうか」としか思えない。死はすぐ近くにいる。手を伸ばせば届くところに。もはや自分の命は惜しくないが、アントーニウスには生きているうちに知っておきたいことがある。なぜ神はこの悲惨な世界を、そのまま放置しておくのか。アントーニウスは死に向かってこう挑発する。「わたしとチェスをやらないか。お前が勝てばわたしの命は好きにするがいい。だがもし負ければ、わたしを解放するのだ」。死はこの挑戦を受け入れるのだが……。

 物語の基本構造は、ギリシャ神話の英雄オデュッセウスの帰還だろう。オデュッセウスはトロイ戦争から故郷への帰還に費やした時間は10年だが、騎士アントーニウスもまた10年ぶりに故郷へと戻る。しかしオデュッセウスの帰還が波瀾万丈の冒険物語であり英雄譚であるのに比べて、騎士アントーニウスがいかに無力なことか。彼は生きることに倦み疲れ、死神に取り憑かれながら、世界の悲惨さから目を背けることができない。なぜ人は人を傷つけ苦しめるのか。なぜ人は死を恐れるのか。なぜこの世界はかくも過酷なものであらねばならぬのか。アントーニウスは死神とチェスをすることで、自分の死を少しずつ先送りするだけの存在だ。そうして生きることで、彼は何を求めているのか。彼は神を求めている。

 タイトルの『第七の封印』は、新約聖書の「ヨハネの黙示録」に出てくる。ヨハネが見た幻の中で、神が手にする巻物は7つの封印で閉じられていた。開かれる封印は世界の終わりへのカウントダウンであり、7番目の封印が開かれることは世界の終わりそのものを意味している。だがキリスト教徒にとって、世界の終わりはその後にあるイエス・キリストの再臨、死者の復活、神の国への約束が成就でもある。ここでは「死」に近づけば近づくほど、その先にいる「神」に近づけるのだ。騎士アントーニウスは黒マントの死を通して、その向こう側にいる神を見ようとする。しかしその姿は、映画の最後まで人々の前から隠されたままだ。

 騎士アントーニウスの旅に合わせて、彼が出会う人々や事件が次々に現れるというロードムービー形式。陰鬱な表情を見せる騎士と、朗らかな旅芸人夫婦と赤ん坊が対比されていて、暗いテーマの映画ではあっても全編にユーモアが漂っている。一番のユーモアは、黒マントの死そのものだろう。芸人一座の座長に狙いを定めた死神が、座長が登っている木を切り倒してしまう場面は、そこに描かれているのがひとりの人間の死そのものなのにユーモアたっぷりだ。

(原題:Det sjunde inseglet)

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7月20日公開予定 ユーロスペース
配給:マジックアワー
1956年|1時間37分|スウェーデン|モノクロ|スタンダード|モノラル
関連ホームページ:http://www.bergman.jp/3/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:第七の封印
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