三姉妹

〜雲南の子

2013/02/26 シネマート六本木(スクリーン2)
中国雲南省の高地にある小村で暮らす幼い三姉妹。
貧しさの中の美しい風景。by K. Hattori

13022602  『無言歌』のワン・ビン監督が、雲南省の高地にある極貧の村を取材したドキュメンタリー映画。僕は監督の他のドキュメンタリー映画を観ていないのだが、対象を凝視しながらも距離感を保ち、ナレーションや字幕による補助的な説明を廃して、映像そのものに語らせるスタイルだ。何らかのメッセージを強く訴えるものではないので、押しつけがましさはない。映画は観る人に対して、どんな解釈でも許容する。この映画を観て「貧乏礼賛」だと感じる人もいるだろうし、逆にここから「貧しさに対する怒り」を感じ取る人もいるだろう。だがこの映画をどう受け取るにせよ、この映画の映像的な美しさは誰もが同じように認めるはずだ。

 映画の主役になる三姉妹は、長女が10歳、次女が6歳、三女が4歳。母親は貧しさと夫の暴力に耐えかね、数年前に家を出て行方知れずになった。父は貧しい家計を支えるため、少し前から都会に出稼ぎに行っている。残った姉妹たちは近所の祖父や伯母たちの助けを借りながら、基本的には子供たちだけで暮らしている。長女はイタズラ盛りの妹たちの世話に追われながら、食事の支度をし、家畜の世話をし、畑を耕し、学校に行き、家畜の糞(燃料用だろうか)を拾う。三姉妹に限らず、登場する村人たちは全員がほぼ着た切り雀だ。着替えないし入浴もしない。垢じみて擦り切れたボロボロの服で目覚め、そのまま日中を過ごし、同じ服を着て寝る。布団は冷たく湿ったかび臭い煎餅布団で、これも寝床に敷きっぱなしでボロボロだ。こういう生活をしているとシラミがわくので、時々服を脱いで縫い目にたかるシラミを爪でつぶす。

 似たような暮らしは日本でも終戦直後の焼け跡などには見られたのかもしれないが、今の日本人にとっては想像を絶する貧しさだろう。ここまで貧しいと、もはや我々の生活との接点が見いだせず、ほとんどファンタジーの世界になってしまう。映画に登場する村が、トルーキンの小説に出てくるホビットの村のように見えてしまうのだ。最近は経済成長著しいと言われる中国。映画などに出てくる中間層の暮らしぶりは、日本の中間層より裕福なのではないかと思わせる中国だが、地方の貧困層はとことん貧しいことがわかる。

 映画はそんな貧しさを、愛おしむように優しい視線で見つめる。ここに登場する村の風景の、何という美しさ。高地特有の湿気を帯びた空気を通って、太陽光線は柔らかく差し込む。薄暗い室内に小さな光が差し込み、夜になれば小さな明かりの周囲に人が集う。そこには17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの代表作「大工の聖ヨセフ」を思わせる、荘厳な美しさがある。

 しかしこの美しさは、貧しさの中から生まれているのだ。中国の開発が地方にまで及べば、やがてこの貧しさゆえの美しい風景も消えてしまうだろう。映画に登場した小さな村も、間もなくより生活に便利な低地への集団移転することが決まっているのだという。

(原題:三姉妹 Three Sisters (San-Zimei))

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5月25日公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:ムヴィオラ
2012年|2時間33分|フランス、香港|カラー|サイズ|サウンド
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