無言歌

2011/11/07 京橋テアトル試写室
反革命の反動的右派勢力として労働改造を命じられた人々。
彼らを待つのは筆舌しがたい饑餓だった。by K. Hattori

Mugonka  中国は共産党独裁の国で、共産党政権に対する批判は中国国内でいまだタブーとされている。その体制を確立させたのは毛沢東(1893〜1976)だ。人心掌握力と権謀術数に長けた彼は、自分自身の権力掌握のためにおびただしい人間を犠牲にした。この映画で描かれた夾辺溝の悲劇もそのひとつだ。文化大革命やそれに先立つ大躍進運動の悲劇はよく知られているが、この映画に描かれた「百花斉放・百家争鳴」と「反右派闘争」について、僕はまったく知らなかった。この映画に描かれているのは、研究者以外あまり知ることのない中国現代史の闇なのだ。

 きっかけは1953年にソ連でスターリンが死んだことだった。後継者のフルシチョフは西側諸国への敵対政策を改めて、冷たい戦争は雪解けムードになる。1956年にはスターリン批判の演説も行い、共産主義体制に対する批判の声が上がるようになった。これに呼応するように、中国では毛沢東が「百花斉放・百家争鳴」を提唱する。これは中国国内での自由な言論を保障し、共産党政府に対する批判的も歓迎するというものだった。中国の知識人たちはこれに応えて、活発に意見を述べた。しかしそれから1年もしないうちに、中国は「反右派闘争」を開始。政府に批判的な意見を述べた知識人たちは反革命的な右派勢力とされて、労働改造のために地方の農場に送られてしまったのだ。しかしそこは農場とは名ばかりの強制収容所。周囲は不毛の砂漠だ。送り込まれた人たちは満足な食料の配給がなされぬまま、疲労と飢えでバタバタと倒れて死んでいく。冬になると農作業は中止。人々は家族に食料の支援を願う手紙を書き、地上を這い回る小動物を食べ、自生している草の実や根をかじり、最後は死んだ人間の肉を切り取って食べた。

 この映画は1960年10月からの数ヶ月に、夾辺溝の農場で何が起きたのかを再現した劇映画。映画に登場するエピソードは映画的に再構成されているものの、すべてが実話にもとづいているという。原作は楊顕恵の小説「夾辺溝の記録」だが、ワン・ビン監督は今も生き残っている当時の生存者たちを訪ね歩いて徹底的な取材を積み重ね、夾辺溝の悲劇をスクリーンの中に忠実に再現した。映画の中で暑さ寒さや飢えを表現するのは難しい。この映画もそれは同じで、からからに干からびた不毛の大地の様子は伝わってきても、その絶望的な寒さは伝わってこない。しかし飢えの表現については、強烈な場面があった。体調を壊して食べたものを嘔吐する病人を介抱する男が、吐き戻された胃の内容物を拾い上げて自分の口に押し込むのだ。こんな場面はこれまでどんな映画でも観たことがない。おそらくこれも実話なのだろう。

 この映画に描かれた反右派闘争とその後の文化大革命は、中国の知識人にとって大きなトラウマとなった。中国人が共産党政府をなかなか批判しないのは、この時の傷がまだ癒えていないからなのだ。

(原題:夾辺溝 THE DITCH)

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12月17日公開予定 ヒューマントラストシネマ有楽町
配給:ムヴィオラ
2010年|1時間49分|香港、フランス、ベルギー|カラー|HD|DOLBY SRD
関連ホームページ:http://mugonka.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:無言歌
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