この映画が旧約聖書のヨブ記をモチーフにしていることは間違いない。映画冒頭にはヨブ記38章4節と7節(わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い、神の子らは皆、喜びの声をあげた)が引用されているし、息子を失った母親に友人が言う『主は与え、主は奪う』もヨブ記1:21からの引用。物語が後半に入ってからは、教会の説教でヨブ記が取り上げられている。しかしこの映画はキリスト教についての映画ではないし、信仰についての映画というわけでもないように思う。ここで描かれているのは、人間にはとても創造することすらできないほど広大で、ほとんど永遠とか無限と言ってもいいような時の流れの中で、人間が生きていくことの意味なのだ。
人生とは何か。徳川家康は「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し」と述べ、美空ひばりは「川の流れのように」と歌っている。人生は長い。それは長い道を歩くことや、大きな川の流れのようなものだ。しかしひとりの人間の人生を離れてより大きな視野に立てば、遠き道に見えたのは地図上の数ミリにも満たない距離であり、川の流れは大海に落とされた一滴の水に過ぎない。人の一生は短く、虚しいものだ。それは一炊の夢。しかし人はそのケシ粒ほどの小さな人生を、笑い、泣き、苦しみ、身もだえしながら生きていく。その人生にどんな意味があるのか。
映画の中では主人公たちの「祈り」が繰り返し登場するが、その祈りに答える者は存在しない。人々が期待するような神は、この世界に存在しないのだ。(これはヨブ記の主題でもある。)人間たちを圧倒的な力で支配しているのは、暴力的な時の流れだ。人は生まれた時から、死ぬことを運命付けられている。地上に現れたあらゆる種類の生き物たちは、個体としての死を避けることができず、種そのものが死滅してしまうことも避けられない。永遠の存在はない。この宇宙も数十億年の過去に誕生し、いずれは滅びゆく存在だ。
滝や川辺の風景が何度も出てくることや、劇中でスメタナの「モルダウ」が流れることなどから、この映画は人々を押し流して行く時の流れを川に例えているらしいことがわかる。主人公は時(水)を拒絶するようにして砂漠をさまよい歩くが、最後はすべての川が流れ着く海辺で、自分の父と、母と、兄弟たちと、そして自分自身と再会し和解するのだろうか。
映画はヨブ記で始まるが、内容はコヘレトの言葉(伝道の書)だ。『なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。太陽の下、人は労苦するが、すべての労苦も何になろう。川はみな海に注ぐが海は満ちることなく、どの川も、繰り返しその道程を流れる。昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも、その後の世にはだれも心に留めはしまい』。しかし人はその時の中を生きる。
(原題:The Tree of Life)
DVD:ツリー・オブ・ライフ
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