水曜日のエミリア

2011/05/13 松竹試写室
生まれたばかりの子供の死を乗り越えられない若い母。
主演はナタリー・ポートマン。by K. Hattori

Suiyoubino  愛する男性と結婚し、愛の結晶である娘にも恵まれて、幸せ一杯であるべきはずのエミリア。しかし彼女の気持ちは深い闇の中に沈んでいる。生まれたばかりの娘イザベルが誕生からわずか数日で突然死したショックから、エミリアはいまだ立ち直れないのだ。子供部屋の育児用品やおもちゃはまったく手つかずのまま放置されている。エミリアにとっての時間は、子供の死と同時に止まってしまった。

 ナタリー・ポートマン主演のホームドラマだが、テーマがちょっと難しい。ポートマン以外はキャスティングもちょっと地味なのだが、これは本来ならテレビドラマ(テレビ映画)などで取り上げるような作品なのかもしれない。これは「わざわざ映画館で観るまでもない映画だ」という意味ではない。映画館という非日常空間に出かけるより、お茶の間のテレビで見た方が、映画の中の世界との距離感が近くて、より親密な気持ちでこの作品に接することができると思うのだ。ここに出てくるのは、ごく普通の人たち。日常の中の小さな事につまずいてしまう、等身大の我らが隣人たちだ。

 物語の中心になっているのは乳幼児突然死症候群(SIDS: sudden infant death syndrome:シッズ)。これはそれまで元気だった乳幼児が、突然死んでしまう原因不明の疾患だ。日本では元横綱・千代の富士の三女がSIDSで亡くなったことから、この病気が広く知られるようになった。赤ん坊をうつぶせに寝かせることとSIDSの発症が増えるとも言われ、睡眠中の窒息死と勘違いされることもあるのだが(じつは僕も勘違いしていた)、SIDSは窒息死ではない。映画の中では医者がエミリアに「残念なことに赤ん坊が死ぬことがあります。それがSIDSです。原因は不明です」と述べているが、現時点ではこれが精一杯の説明らしい。映画では生まれてすぐの赤ん坊が死んでいるが、1歳過ぎの幼児が亡くなることもある。

 しかし原因がわからなくても、何らかの原因を見つけたいと考えてしまうのが人間だ。多くの親たちは子供が突然死した原因を、自分たちの落ち度だと考えてしまう。自分たちが何かしていれば(あるいはしていなければ)、子供は死なずに済んだのではないかと考える。この映画の中で、エミリアはまさにそうした状態になっている。子供の死の原因は自分にある。子供を殺したのは自分だと思っている。彼女は自分自身を許すことができない。これが彼女の心をこわばらせて、家族の中に亀裂を生みだしていく。

 映画としてはドラマの焦点が曖昧で、山場での盛り上がりに欠けるし決着の付け方もわかりにくい。それが等身大のリアルさではあるのだろうが、このあたりがまた「テレビドラマの方がよかったなぁ」と思わせる部分でもある。悪い映画ではないが、ちょっと淡泊な印象。制作総指揮のリサ・クドローが、主人公の夫の前妻を好演している。

(原題:Love and Other Impossible Pursuits)

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7月2日公開予定 ヒューマントラストシネマ有楽町
配給:日活 宣伝協力:樂舎
2009年|1時間42分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://wed-emilia.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:水曜日のエミリア
原作洋書:Love and Other Impossible Pursuits
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