442日系部隊

アメリカ史上最強の陸軍

2010/09/27 サムライシアター新宿
第二次大戦中最強の部隊と言われたアメリカ陸軍の日系部隊。
彼らが戦った本当の相手とは?by K. Hattori

442  第二次大戦中に、アメリカの日系人たちによる戦闘部隊が組織され、ヨーロッパ戦線で華々しい活躍をしたことはよく知られている。彼らの所属した442連隊は、アメリカの歴史上もっとも多くの勲章を受けた陸軍部隊として知られ、今なお伝説となっている。この映画はそんな442部隊の成り立ちと戦い振りを、生存者たちのインタビューを交えながら綴ったドキュメンタリーだ。

 1941年12月に日本軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、日本とアメリカの間に戦争が始まる。この当時、ハワイとアメリカ西海岸には大勢の日本人が移住していたが、彼らはこの日を境に「敵性国民」とされ、翌年には財産を没収された上で全米10ヶ所に建設された強制収容所に送り込まれてしまう。こうした仕打ちを受けながら、「祖国」であるアメリカのために戦うことを選択して軍に入隊した日系兵士たち。だがアメリカの日系人政策にはハワイと本土とでかなりの温度差があり、日系人口が多いハワイでは指導者層の一部が収容所に送られただけだったことを、僕はこの映画で初めて知った。

 ハワイでも日系人は当初軍の仕事から排除されたのだが、日系人の若者たちは自主的に従軍部隊を作って軍に積極的に協力。この仕事ぶりが認められて日系人にも軍への志願が解禁されると、定員の何倍もの応募があったという。これに対してアメリカ本土では、軍の徴募に応じてアメリカ国民としての義務を積極的に果たすべきだという人たちがいた一方、アメリカ政府の日系人政策は誤りだと批判し、徴兵を拒否する人たちも多かった。(こうした人たちは家族と過ごしていた強制収容所から、刑務所に送られてしまったという。)ハワイ出身の日系部隊と本土で徴兵された部隊が合流しても、両者の関係はまるで水と油。これを憂慮した指揮官たちがハワイ出身兵たちを日系人収容所に連れて行くことにしたが、その時点でも兵士たちは「女の子に会える」と大はしゃぎ。しかしその浮かれ騒ぎも、砂漠の中の収容所がぐるりと鉄条網で包囲され、四方に監視所と銃を持った監視兵がいる様子を見て一変したという。日系部隊の兵士たちは、アメリカ社会から受ける「差別」を目の当たりにして、強く結束したのだ。

 訓練を終えた442部隊はイタリアに送られるのだが、日系部隊は常に戦闘の先陣を切って進軍し、ローマ解放にも大いに貢献する。だが彼らはローマ市街が目と鼻の先に迫った時点で、軍上層部命令でそれ以上の進軍をストップさせられる。結局彼らはローマに入ることはできず、彼らを追い抜いた白人兵たちのジープや戦車たちがローマ市民の熱狂的な歓迎を受けることになった。これもまた、日系部隊に対するあからさまな差別のひとつだろう。

 日本人について、アメリカについて、戦争について、歴史を語り継ぐことについて、さまざまなことを考えさせるドキュメンタリー。これはたくさんの人に観てもらいたいと思う。

(原題:442: Live with Honor, Die with Dignity)

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11月13日公開予定 新宿K's cinema、横浜ニューテアトル
配給・宣伝:フィルムヴォイス パブリシティ:ブラウニー
2010年|1時間37分|日本、アメリカ|カラー、白黒|HDCAM
関連ホームページ:http://www.442film.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍
関連DVD:すずきじゅんいち監督
関連DVD:二世部隊(1951)
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