ソフィアの夜明け

2010/09/24 松竹試写室
元麻薬中毒の若い画家が外国人の少女に出会う。
東京国際映画祭グランプリ受賞作。by K. Hattori

Easternplays  昨年の東京国際映画祭コンペ部門に『イースタン・プレイ』というタイトルで出品され、作品賞である東京サクラグランプリのほか、最優秀監督賞と最優秀男優賞の3冠受賞を果たしたブルガリア映画。監督のカメン・カレフはこれが長編第1作目。主演のフリスト・フリストフをはじめ、主要キャストの多くがこの映画で映画初主演。この映画は監督の幼なじみでもあるフリストをモデルに監督がシナリオを書き、最初は別の俳優を使って撮影することも考えていたようだが、結局はモデルになったフリストが本人を演じることになった。俳優としての訓練を受けていない素人役者のようだが、この映画におけるフリストの存在感は大きい。「本人が本人を演じているのだから苦労はないだろう」と考えるのは大間違い。普通の人間はカメラの前で自然に歩くことすらできないのだ。この映画で大いに注目されるはずだったフリストだが、残念なことに映画撮影終了間際に事故死。映画のラストシーンがいささか唐突な印象を受けるのはそのせいだと思うが、それが映画にとって大きな傷にはなっていない。その前の段階で、物語の進むべき道が示されているからだろう。

 主人公フリストは元麻薬中毒患者で、今はアル中気味の木工職人。本来は画家なのだが、本格的な制作活動からはずいぶん遠ざかってしまっている。メタドン療法のせいなのか、いつも飲んでいる酒のせいなのか、気分はいつもどん底状態で不機嫌な顔をしている。家族とも絶縁状態だし、恋人との関係も行き詰まっている。職場の同僚や部屋を共同で借りている同居人たちも他人みたいなものだ。フリストは人生の目的もなく、生きていることの歓びも感じられないまま、ただ生きている。そこから抜け出したくても、誰も手を貸してくれない。だがそんなフリストの人生は、ネオナチグループに襲われたトルコ人一家を助けたことで変わりはじめる……。

 昨年映画祭でこの映画を観たときは主人公フリストを巡る物語ばかりが気になったのだが、今回はむしろ主人公の弟ゲオルギのエピソードが気になった。映画の中ではこのゲオルギと、トルコ人の娘ウシュルが映画のために創造された架空の人物。こうした人物を通して、映画は物語の中では直接描かれないフリストの内面を表現しようとする。ゲオルギとウシュルは、フリストの分身なのだ。ネオナチ運動に片足を突っ込むゲオルギは、かつて麻薬に溺れたフリストの姿のバリエーションであり、ウシュルの見せる生き生きとした感受性は、フリストが抑圧している芸術家としての感性の代弁だろう。映画の中からウシュルが思いのほか早く退場してしまうのは、彼女の存在がフリストの内面の光を目覚めさせる「触媒」でしかないからだ。彼女はフリストにとっての救世主ではない。本当の変化は、フリストの内面でゆっくりと進行してゆく。フリストはウシュルに再会できるのか? そんなことは、この映画にとって二次的なことなのだ。

(英題:Eastern Plays)

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10月23日公開予定 [シアター]イメージフォーラム
配給:紀伊國屋書店、マーメイドフィルム
宣伝:VALERIA 配給協力:コミュニティシネマセンター
2009年|1時間29分|ブルガリア|カラー|ヴィスタ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.eiganokuni.com/sofia/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ソフィアの夜明け
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