ふたたび

SWING ME AGAIN

2010/08/03 シネマート六本木(スクリーン4/GAGA試写室)
ハンセン病の療養所から退所した祖父と孫の旅の行方。
二兎を追う者は一兎をも得ず。by K. Hattori

Futatabi  神戸の大学に通う貴島大翔は、ある日両親から「お祖父ちゃんが家に戻ってくるかもしれない」と聞かされてびっくり。祖父はとうの昔に死んでいたと聞かされていたからだ。だが祖父の一人息子である父の良雄には、家族に真実を語れない理由があった。祖父の健三郎はハンセン病の元患者で、半世紀以上も療養所に隔離されていたのだ。結局家族は健三郎を受け入れることにするが、家にやってきた健三郎は無口で頑固で、家族ともなかなか打ち解けられない。しばらくして、健三郎は突然家から姿を消してしまった。健三郎には今回の退院帰省の際、どうしても行っておかなければならない場所、会っておかなければならない人たちがいたのだ。大翔はそんな健三郎の旅に付き合うことになるのだが……。

 この映画にはふたつのまったく異なる映画が同居している。ひとつはハンセン病に対する差別と、元患者たちの社会復帰、それを受け入れる家族の姿を描く社会派映画路線。もうひとつは半世紀以上前に夢を絶たれたジャズマンが、かつての仲間たちを集めて再びステージに立つという音楽映画路線。だが映画の中ではこのふたつの映画がうまく融合できず、どちらも中途半端になってしまっているように思う。双方に均等に重心をかけて、結局はどちらにも力が入らない曖昧な作品になってしまった。

 ハンセン病をテーマにした社会派作品なら、語らなければならないことはもっとたくさんあったはず。そちらに十分体重を乗せた上で、ジャズの名曲をたくさん散りばめるなど、味付けとして音楽映画の香り付けをしていけばよかった。音楽映画にするのであれば、かつての仲間たちとの友情、祖父と孫との間の音楽を通じた交流や遺産の継承といった音楽寄りの素材をもっとぶち込んで、厚みのあるドラマを作っていくこともできたはずだ。しかしこの映画は、結局そのどちらでもない、それどころか何ものでもない映画になってしまった。  脚本の欠点や欠陥について論じようと思えば、いくらでも突っ込みどころのある映画だ。例えば貴島家の長女の結婚が、祖父の帰宅がきっかけでダメになるという話がある。これが事実だとすれば、ハンセン病に対する差別が今でも生きているという重い話になるのだが、映画の中ではこの長女が破談をどう受け止めたのか、家族がどう考えているのかといった話がまったく出てこない。そもそも家族の反対で恋人同士が引き裂かれる話は大翔と恋人の間でも出てくるのだから、長女の話は映画に不要なのだ。長女にはそもそも、台詞らしい台詞すらないではないか。これは役柄ごとバッサリと切ってしまって構わない部分だ。

 音楽映画としての演出法にも疑問を感じる。健三郎の入院直後に生まれた良雄は55歳だから、健三郎の入院は1950年代前半だ。1950年代はモダンジャズ全盛時代。ならば映画の劇中曲やBGMもすべて、モダンジャズで押し通してほしかった。

11月13日公開予定 有楽町スバル座ほか全国ロードショー
配給・宣伝:ギャガ パブリシティ:グアパ・グアポ
2010年|1時間51分|日本|カラー
関連ホームページ:http://futatabi.gaga.ne.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ふたたび SWING ME AGAIN
原作:ふたたび swing me again
関連DVD:塩屋俊監督
関連DVD:財津一郎
関連DVD:鈴木亮平
関連DVD:MINJI
関連DVD:陣内孝則
関連DVD:古手川祐子
ホームページ
ホームページへ