ボローニャの夕暮れ

2010/04/27 松竹試写室
第二次大戦前後のボローニャを舞台にしたホームドラマ。
戦争以上に波瀾万丈な一家だなぁ。by K. Hattori

Boronya  1938年のイタリア、ボローニャ。高校で美術教師をしているミケーレは、美しい妻デリアと17歳の一人娘ジョヴァンナの三人暮らし。小さなアパートで、隣近所の者同士が肩寄せ合って暮らす平和な日々。そんな中で、ミケーレは自分の勤務先の生徒でもある娘ジョヴァンナの幸福をいつも願っている。娘は他の同年配の少女たちに比べて引っ込み思案で、精神的にひ弱なところがある。そんな娘を励まし、勇気づけるのがミケーレの日常だ。ボーイフレンドがいないことを気にしているなら、自分の教え子を娘に紹介したりもする。親バカで結構。娘の幸せのために働くのが、父親の義務ではないか。

 ところがある日、大事件が起きる。ジョヴァンナと親しかった女子生徒が、学校内で何者かに殺されたのだ。彼女が有力政治家の姪だったこともあり、事件には陰謀の影がちらつく。これは政治的な暗殺か。はたまた変質者によるレイプ殺人か。だが警察が容疑者として逮捕したのは、ミケーレの娘ジョヴァンナだった……。

 戦争というのはいろいろなドラマを生み出すもとになるため、多くの文学作品や映画やドラマで「戦争の時代」を背景にした物語が生み出されている。この映画もそんな「戦争の時代」を描いている。NHKの朝ドラは多くの作品で、戦争の時代を生きた女性の一代記を描いていた。『風と共に去りぬ』も『二十四の瞳』も、戦争抜きには成立し得ない物語だ。しかし本作『ボローニャの夕暮れ』はどうだろうか? 物語は第二次大戦前の1938年から、戦争が終わって町が復興する1952年までを描いている。もちろん戦争中のエピソードには、ドラマチックなものもある。時代が生み出した政治的な混乱や風俗の変化も、物語の大きな彩りとなっている。しかしそれ以上にドラマチックなのは、ミケーレたち一家三人の中から生まれてくるドラマだ。ミケーレたち家族に起こるドラマは、時代とは隔絶された普遍性がある。それは現代にも起こりえるものだろう。同じ話は現代を舞台にしても、そのまま作れるに違いない。ただし内容はもっと生々しくなる。なまぐさくなる。この映画は物語の時代背景を第二次大戦前後にすることで、今でも起こりえる生々しい物語をファンタジックなおとぎ話にしている。「時代劇」という器が、物語のなまぐささを消してくれるのだ。

 配役がいい。イタリア映画には不案内だが、シルヴィオ・オランド演じる主人公ミケーレの、不器用で冴えない男だが、誠実で正直な態度がにじみ出ているような風貌。その妻デリアを演じたフランチェスカ・ネリが、物語の枠組みから外れてしまうような不釣り合いな美しさを見せ、やっぱり物語から外れて行ってしまう。一番素晴らしかったのは、ジョヴァンナを演じたアルバ・ロルヴァケル。彼女はこの演技で、イタリア国内の大きな映画賞を受賞している。繊細さと大胆さを併せ持つ演技でした。

(原題:Il papa di Giovanna)

初夏公開予定 ユーロスペース、銀座シネパトス
配給:アルシネテラン
2008年|1時間44分|イタリア|カラー|シネマスコープ|ドルビー・デジタル
関連ホームページ:http://www.alcine-terran.com/bologna/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ボローニャの夕暮れ
関連DVD:プーピ・アヴァーティ
関連DVD:シルヴィオ・オルランド
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