獄(ひとや)に咲く花

2010/02/05 松竹試写室
吉田松陰にとって唯一の恋と言われる高須久との交流を映画化。
小規模ながら丁寧に作られた佳作。by K. Hattori

Hitoya  恥ずかしながら「獄」という字を「ひとや」と読むことを知らなかったのだが、詩情に満ちたタイトルだと思う。原作は古川薫の「野山獄相聞抄」で、このいささか硬いタイトルを『獄(ひとや)に咲く花』という軟らかい言葉に置き換えたのは製作者のセンスだ。監督は『必殺始末人』『必殺!三味線屋・勇次』のほか、テレビで数多くの時代劇を手掛けるこのジャンルの大ベテラン石原興(しげる)。幕末長州の思想家で、教育者として数多くの人材を育てた吉田松陰の晩年を描いた作品だ。

 松陰は30歳(満29歳)で処刑されているのだが、その前に故郷萩にある士分のための上牢・野山獄に2度投獄されている。最初の投獄は、江戸遊学中にペリーの黒船来港事件に遭遇し、黒船に乗り込んでアメリカへの密航を企てたためだった。故郷に送り返され野山獄入りした松陰は、翌年には生家預かりの身となって出獄。しかしその3年後には幕府老中の暗殺計画をぶち上げ、危険人物として再び野山獄送りとなった。この2度に渡る野山獄送りの同時期に、松陰と共に同じ牢いたのが高須久という武家の未亡人だった。映画は彼女の視点を通して、幕末の傑物・吉田松陰の姿に迫っていく。当時の日本の中で抜きん出て視野が広く、時代の先を見通していた男。だが彼は、大胆で、潔癖で、仲間や家族を思いやる、感情表現が豊かな、裏表のない正直な男だった。映画は松陰の思想や教育者としての姿ではなく、表立っては活動の出来ない牢内での姿を通して、その人柄を再現していこうとしている。

 映画は松陰と高須久との間にほのかな恋心のような交流があったように描いているが、実際の高須久は松陰より一回りほど年上だったようで、ふたりの間に恋愛めいた感情が芽生える余地があったのかどうかはよくわからない。ふたりの関係を「吉田松陰にとって唯一のロマンス」と考える人は多いようだが、それは生涯を独身で通した松陰の人生の中に、何かしらの彩りを添えたいという構成の人間の願望だろう。しかしそれだからと言って、僕はこの映画(原作は未読)のような表現が嘘っぱちだとは思わない。幕末の英雄として神格化されている(実際に松陰神社や靖国神社の祭神でもある)吉田松陰を、ひとりの「人間」として描こうとするなら、彼の思想や業績などの公的活動を除外した私的空間が必要であり、その点で公的活動を禁じられた野山獄での姿のみに焦点を当てるのはうまいアイデアなのだ。

 同じようなコンセプトの映画としては、南ア初の黒人大統領ネルソン・マンデラの獄中時代を看守の視点から描いた『マンデラの名もなき看守』という映画があった。だが『獄(ひとや)に咲く花』の視点は、それよりももっと純粋だ。恋をしている人間は、相手の仕事や思想に惹かれているわけではなく、人柄に惚れ込んでいるからだ。松陰の人間性を描くには、高須久と松陰の間に恋心がなければならない。それは史実を越えた「真実」だ。

2月6日公開 山口・福岡県先行ロードショー
4月公開予定 有楽町スバル座ほか全国ロードショー
配給・宣伝:Thanks Lab 配給協力:シナジー
2009年|1時間34分|日本|カラー|ビスタ
関連ホームページ:http://www.hitoya.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:獄に咲く花
原作単行本:野山獄相聞抄(古川薫)
原作文庫:吉田松陰の恋(古川薫)
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