イエローキッド

2009/12/16 映画美学校第2試写室
マンガ家とボクサー青年の出会いが生んだカオス。
真利子哲也監督の長編デビュー作。by K. Hattori

Yellowkid  ボクサーを夢見る青年と、彼をモデルに新作「イエローキッド」を描こうとするマンガ家を主人公に、日常と非日常、愛と嫉妬、現実と虚構が錯綜する物語。監督の真利子哲也は実験的な短編オムニバス映画『そんな無茶な』で、映画製作費100万円をすべて宝くじ購入に突っ込むというドキュメンタリー(?)を撮っている。たまたまその映画を僕は観ていたのだが、作品のタッチとしては今回の映画に似ているところもあるかな……と思わなくもない。手持ちカメラを多用したライトなし撮影は予算の都合で必然的に多用されている手法だとは思うが、これが作り手の個性にまで達すれば、ビデオ時代の新しい映像表現になるかもしれない。現在はまだゲリラ的な撮影のための、荒削りな手法に見えてしまう。屋内シーンなど必ずしも撮影の制約がない部分でも同じ手法を使っているのだから、これは意図的なスタイルなのだが、まだスタイルとしてこなし切れていない。こうした映像が表現として定着してくるには、まだあと数年はかかるのかもしれない。

 マンガ家の描く物語世界が日常を侵食していくというのが大きな物語の概略だが、その中に埋め込まれている日常的で些末なエピソードがあまりにも濃厚すぎて、それらを内包した大きな物語の側に飛躍できていないという印象を受ける。主人公のマンガ家が昔の恋人相手に居酒屋で罵声を浴びせたり、深夜の公衆便所で隣の個室に入ったカップルの行為に聞き耳を立てたり、自らの作品論を熱く語ったり、ボクサー青年が痴呆の祖母の世話をしたり、バイト先をクビになったり、ボクシングジムの会長(でんでんが好演)が練習生をぼろくそになじったりするエピソードが濃すぎる。ジムのシーンなどは、練習生たちの汗や松ヤニの匂いまで漂ってきそうな臨場感があるではないか。この路線で日常ベタベタの世界を描けばまた別の映画になるだろうに、この映画はこの日常ベタベタの世界からファンタジーに向かおうとするから大変だ。日常描写のあれやこれやが邪魔をして、ファンタジーに手が届かない。一瞬手が届いてもすぐ日常に引きずり下ろされる。

 結局この映画は小さな日常描写とその延長にあるエピソードが優れているものの、大きなファンタジーの部分は映画全体をまとめ上げる枠組みとして機能していないと思う。日常描写は監督の生理から生まれた地に足の付いたエピソードに仕上がっているのに、ファンタジーは頭で考えただけの浮ついた描写になっていると思う。この監督の資質に合った部分で、もっと面白い映画を撮ることはできると思うのだが、あいにく今回はそうした素材ではなかったようだ。映像スタイルのより一層の洗練も含めて、自作以降に期待したいところだ。

 映画の最後には「種明かし」的な映像が付け加えられているのだが、映画終盤で実際に何が起きていたかなど、この映画にとってどうでもいいことのように思えてならない。これは不要。

1月30日公開予定 ユーロスペースほか全国順次拡大公開
配給:ユーロスペース 宣伝:メゾン
2009年|1時間46分|日本|カラー|1:1.85|ステレオ
関連ホームページ:http://www.yellow-kid.jp/
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