チェネレントラ

2009/11/25 アキバシアター
ロッシーニのオペラ版「シンデレラ」は以外にも現代的。
ヒロインは自立していて魔法は出てこない。by K. Hattori

Wcc  先だって『椿姫』を鑑賞した「映画館で鑑賞するオペラ」シリーズの1本。実際の上演舞台をハイビジョン収録している点は同じだが、映像処理的には『椿姫』よりずっと「スタジオ撮影されたオペラ」に近い。望遠レンズを使ってクロースアップを狙ったり、ひとつのシーンで細かくカットを割ったりする「映画的な表現」を行っているのだが、それがかえって舞台の臨場感を損ねているようにも思える。これはもともとテレビやビデオモニターで鑑賞することを前提に作られた映像ソフトが、劇場スクリーンサイズに拡大されていることから起きた違和感のようなものかもしれない。

 ロッシーニの代表的オペラのひとつである「チェネレントラ」は今回の映画で初めて観たのだが、内容がひどく現代的な感覚なのに驚いてしまった。初演は1817年と言うから、今から200年近く前の作品だ。しかしここに出てくるヒロイン像は、ディズニーアニメの『シンデレラ』よりよほど自立した存在ではないだろうか。「チェネレントラ」の原作は間違いなく民話の「シンデレラ」なのだが、そこには魔法使いもガラスの靴も出てこない。ガラスの靴が出てこない理由は何となくわかる。それは靴が舞台映えしないからだろう。映画『ローマの休日』にお姫様がスカートの中で靴を脱ぐシーンがあったが、要するに靴というのは歩く際にスカートやドレスの裾からチラチラと見え隠れするものであって、舞台の上で「これがシンデレラのガラスの靴でございます」と観客の注目を集めさせるには特殊な工夫が必要になってくる。そこでこのオペラでは、ガラスの靴をやめて腕輪に変更されている。だがこれは単に舞台の見栄えの問題であって、作品の本質的な事柄ではない。(心理学的な見知から言えば、靴と腕輪とでは象徴する機能が違うのかもしれないけどね。)

 それより僕が「チェネレントラ」が現代的だと思うのは、ヒロインが王子様と結婚したがらないという部分にある。チェネレントラが恋い焦がれるのは、王子よりずっと身分の低い彼の従者なのだ。じつは王子と従者が衣装を入れ替えているのだが、ヒロインはそんなことを知らないまま、王子(に変装している従者)から結婚を申し込まれてもそれを断り、自分は従者(に変装している王子)と結婚したいのだと宣言する。もちろんこれも、最終的には王子が自分の身分を明かしてめでたしめでたしとなるわけだし、ヒロインが自分の力だけで継父や義姉の家から独立できたわけではなく、そこには力を貸す男性の存在が不可欠であることは間違いない。最後にヒロインは王子様と結婚する、予定調和の世界と言えば言えるだろう。でもこの物語の中で、ヒロインは常に物語を自分の意思の力で動かしていく。教師に言われるままにあちらこちらにフラフラしている王子のだらしなさに比べると、チェネレントラはいかにも毅然としているではないか。結婚したら、彼女は夫を尻に敷くだろう。

(原題:La Cenerentola)

1月16日公開予定 新宿バルト9ほか全国順次ロードショー
配給:ソニー株式会社 宣伝:る・ひまわり
2005年|2時間37分|イギリス|カラー
関連ホームページ:http://www.livespire.jp/opera/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:チェネレントラ
関連CD:チェネレントラ(ロッシーニ)
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