イースタン・プレイ

2009/10/21 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(Screen 3)
元麻薬中毒のブルガリア人青年がトルコ人の少女に出会う。
第22回東京国際映画祭コンペ作品。by K. Hattori

Easternplays  ブルガリアと言われても、ヨーグルトと琴欧洲関ぐらいしかイメージできない地理おんちだが、本作は現代のブルガリアを舞台にしたドラマ。主人公の青年フリストは木工所で働いている。薬物依存の治療のためメタドンを飲んでいるが、今度はアルコールに依存気味で年中べろんべろんに酔っている。世界はどんよりと濁った様相で、フリストはいつでも不機嫌。悪態をついたところで世界がどうなるものでもないが、それでも悪態をつかずにはいられない。その矛先は恋人に向かう。なにもかもがわずらわしい。今の状態から抜け出したくても、その出口が見つからない。だがそんな酔っぱらい人生を大きく変える、ひとつの出来事がやってくる。

 観光旅行にやってきたトルコ人の親子連れが、排外的なネオナチグループに襲撃される現場に、たまたまフリストが通りかかったのだ。「お前らなにやってんだ!」と大声を出すフリストの出現に、グループはあわてて逃げ出した。フリスト自身もグループのメンバーに殴打されるが、地面にぶっ倒れながら、彼は逃げていくグループメンバーの中に自分の弟がいることを知る。「いったいお前、なにやってんだ?」。襲われたトルコ人は大ケガをして入院したものの、命に別状はない様子。病室を見舞ったフリストは、そこでトルコ人一家の美しい一人娘に出会い心を奪われるのだ。どんよりと分厚い雲が垂れ込めていたフリストの生活に、彼女が一筋の光を当ててくれる予感を抱かせた出会い……。

 欧州のネオナチ問題はさまざまなメディアで取り上げられているが、この映画に登場するのは、保守系の政治家がネオナチグループを金で雇い、暴動や外国人襲撃を裏から操っているという実態。これ自体は映画の本筋とまったく独立したエピソードなのだが、主人公が置かれている逃げ場のない状態を象徴する話でもある。この世界では社会の頂点にいる人間と、社会の最底辺で徒党を組んで暴れ回っているギャングたちが、暴力を通じてつながり合っている。そんな社会の中で、まともに普通に生きることが何と困難なことか。

 この映画の中では主人公がトルコ人少女との出会いを通して、そんな腐った世界からの脱出に一応は成功したかのように見える。人間は自分ひとりの力では自分自身を助けることができず、外側からの働きかけが必要なのだ。それは偶然ではなく、超自然的な「必然」のわざだ。主人公フリストが映画の終盤で出会うひとりの老人。その家に招かれ、ついうたた寝をしてしまったあと目覚めると、老人は幼い赤ん坊になっている。自宅アパートに戻ってみると、そこにいるのはエンジェル(天使)と名乗る少女。背中には片翼のタトゥー。これは何らかの「啓示」なのだ。

 映画のラストシーンはトルコのイスタンブールで終わる。フリストはそこで少女に再会できるのだろうか? それはじつのところ、どうでもいいことのような気がする。

(原題:Eastern Plays)

第22回東京国際映画祭 コンペティション
配給:未定
2009年|1時間29分|ブルガリア|カラー
関連ホームページ:http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=5
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:イースタン・プレイ
関連DVD:カメン・カレフ監督
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