少年トロツキー

2009/10/20 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(Screen 3)
自称「革命家トロツキーの生まれ変わり」が学校に革命を起こす。
第22回東京国際映画祭コンペ作品。by K. Hattori

Shotoro  レオン・ブロンスタインはモントリオールに住む高校生。だがその性格はひどく風変わりだ。彼は自分がロシアの革命家レオン・トロツキーの生まれ変わりだと信じ、前世と同じように革命家としての人生を歩むと信じている。トロツキーの本名はレフ・ダビドビチ・ブロンシュテインで、レオンと同じ名前だというのがその大きな根拠。レオンはトロツキーの人生をなぞるように父親の経営する工場でストライキを起こして失敗し、罰として地元の公立高校に転校させられる。革命運動に試練はつきもの。だがその試練の中で、革命家は大きく成長していくのだ。レオンの転校した公立学校では、校長による強権的な支配が幅を利かせていた。今こそ革命だ。全校の生徒たちよ、団結せよ! だが「生徒による自主組合の樹立を!」と訴えるレオンの叫びは、当の生徒たち自身にまるで無視されてしまうのだった……。

 青春映画というのは主人公の行動に観客が行動移入することで成り立つジャンルだが、この映画は主人公は発想も行動もエキセントリックすぎて、観客の感情移入を拒んでしまう点が異色だ。「私は革命家トロツキーの生まれ変わりで、これから先の生涯を革命家として生きるのである!」などと大まじめに信じ宣言する高校生に、誰が自分を重ね合わせられるだろうか? これは統合失調症で誇大妄想のある患者が、「私はナポレオンである」「私は天皇である」「私は神である」と信じ込んでいるの何も変わらない。映画の中で主人公の周囲にいる人間たちも、誰もがその「オカシサ」に気づいているのだが、あえてそれを不問にしている。誰にも共感されない主人公。しかし彼は周囲の人びとから排除されないし、やがて彼の主張に共鳴する人びとも現れることになる。

 映画に描かれているのは、閉塞した現実をそのままに受け入れ、さまざまなストレスを抱え込んだまま事なかれ主義で生きている高校生と、そんな生活を子供たちに強いている大人たちの姿。学校は完全な管理社会なのだ。しかしそんな学校を作った大人たちは、学生時代にさんざん社会に反抗し、暴れ回っていた世代でもある。あの「怒れる若者たち」はどこへ行ってしまったのか? 社会のあり方に異議を唱え、刃向かい、反逆したかつての若者たちは、今では社会体制の中枢の中で子供たちを管理する側に回っている。主人公レオンの行動は、そんな大人たちに対する痛烈な批判ともなっている。

 しかしレオンは一体何に怒っているのか? 彼は「革命家トロツキー」の生涯をなぞるために、自らの「革命」を成し遂げるために、目の前の体制に異議を唱えているだけではないのか? 彼にとって反逆は手段ではなく、それ自体が目的なのだ。結局周囲の人びとは、レオンの「革命」に自分自身の中にある何かを投影している。レオンの演じる「トロツキー」は虚像だと知りつつ、そこに自分の求める何かを見いだそうとする。人はウソの中に真実を見るのだ。

(原題:The Trotsky)

第22回東京国際映画祭 コンペティション
配給:未定
2009年|1時間53分|カナダ|カラー|2.35:1|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=29
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:少年トロツキー
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