激情

2009/10/18 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(Art Screen)
すぐそばにいるのに決して触れあうことが出来ない恋人たち。
第22回東京国際映画祭コンペ作品。by K. Hattori

Gekijyo  スペインに出稼ぎに来ているコロンビア人の男ホセ・マリアは、建築現場で作業員として働きながら出口の見えない鬱屈した状況にいら立っていた。そんな彼に一時の安らぎを与えてくれるのが、恋人ローサの存在。彼女も同じコロンビア出身で、今は老夫婦の住む屋敷で住み込みの家政婦として働いている。イライラすると見境無しに暴力を振るうホセだったが、彼女といるときだけは優しい気持ちになれるのだ。だがある日ホセは仕事場の現場監督と口論になり、激高したはずみに相手を殺してしまった。逃げ出したホセはローサの働く屋敷を訪ねるが、たまたまその日は全員が留守。行き場のないホセは無人の屋敷に入り込み、屋根裏部屋に身を隠す。間もなくローサは主人夫婦と一緒に帰宅するが、ホセを捜す警察もやってきて彼女に事情聴取。ローサは恋人の起こした事件を知って泣き崩れる。そんな様子を見ながら、ホセはローサに名乗り出ることも、屋敷から出て行くこともできなくなってしまう……。

 前作『タブロイド』が日本でも公開されているセバスチャン・コルデロ監督の3作目。物語の舞台を実質的にひとつの屋敷に限定し、その中で主人公がもだえ苦しむ様子を克明に描いていく。僕は『タブロイド』を観ていないのだが、今回の映画は面白かった。これは犯罪ドラマであり、サスペンス・スリラーであり、ラブストーリーでもある。

 映画における「ドラマ」というのはほとんどの場合、人間同士の相克と葛藤によって成立する。この映画でもそれは同じだが、ユニークなのはその相克や葛藤が直接的には目に見えないということだろう。主人公ホセ・マリアは屋敷に出入りする人々の様子を見ることができる。彼はその様子を見ながら、身もだえして苦しむ。でも相手はそれを知らない。人間同士の関係性としては、そこに一切の衝突も対立も起きていないのだ。しかし現実には、そこで濃密な人間ドラマが展開している不思議。例えば映画の中で最も劇的なのは、恋人ローサにちょっかいを出す男にホセが殺意を抱くというくだりだが、ホセが相手をいくら憎もうと、そもそも相手はホセのことを知りもしない。殺意はホセから相手に向けられた一方的なものであって、相手はホセのことなど最初から眼中にないのだ。

 しかしこれは、ホセという男が置かれてきた状況の象徴だ。彼は殺人を犯して逃亡する以前から、そもそも周囲の誰からもその存在を無視されてきたのではないだろうか。スペイン国内の外国人労働者として、その存在はまるで虫けらのように軽んじられてきた。ホセの突発的な暴力は、常にそうした社会に対する反抗や自己主張として行われているようにも見える。「俺を無視するな!」「俺だって人間だ!」という叫びが、ホセの鉄拳となって炸裂するわけだ。しかしそのホセが、屋根裏部屋に隠れ住むことを自ら選択することで、文字通り目に見えない存在へと自らを追い込んでしまう。なんたる皮肉。

(原題:Rabia)

第22回東京国際映画祭 コンペティション
配給:未定
2009年|1時間35分|スペイン、コロンビア|カラー
関連ホームページ:http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=15
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:激情
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