人魚と潜水夫

2009/10/17 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(Art Screen)
海と共に生きるニカラグアの漁民を取材したドキュメンタリー。
東京国際映画祭公式上映作品。by K. Hattori

Ninsen  ドキュメンタリー映画に「記録映画」という訳語を当てることもあることから、ドキュメンタリーというのはテレビの「報道番組」などと同じ完全なノンフィクションだと思っている人は多い。ドキュメンタリーとフィクションは、全く成り立ちの異なる別種のものだという定義付けだ。しかしちょっとした映画ファンなら、ドキュメンタリーとフィクションの境界線がそれほど明確なものではないことを知っている。世の中にはフィクションの顔をしたドキュメンタリーもあれば、ドキュメンタリーのように見えるフィクションもある。フィクションの中にドキュメンタリー要素が取り込まれていることもあれば、ドキュメンタリーの中にフィクションを入れることも多いのだ。両者の境界線は必ずしも、定規で引いたように真っ直ぐな直線で仕切られているわけではない。境界線はいつも曖昧で、揺らいでいるのだ。

 映画『人魚と潜水夫』は、こうした境界線の上にあえて自らの身を置こうとしている挑発的な作品だ。舞台は中部アメリカのニカラグア共和国。この国の大西洋岸には先住民ミスキート族の村があって、主に漁業で生計を立てている。彼らは漁に出た潜水夫が海で亡くなると、犠牲者は人魚に恋をして命を落としたのだと考える。人魚に恋した人間は亡くなったあとウミガメに生まれ変わり、再びミスキート族たちがいる海辺へと戻ってくる。だがそのウミガメは漁師たちに捕らえられ、肉がミスキートの人々を養うことになる。命は海を経由して循環していく……。こうしたことが映画の中では字幕で説明されるが、この言い伝えが実際にミスキート族の中で語られているものなのかどうかは不明だ。映画の中に収録されているドキュメンタリー映像は、特にこうした伝説の説明にも補強になっていないからだ。

 ここで描かれているミスキート族の暮らしぶり自体は、間違いなくドキュメンタリーそのものだ。しかし映画はそれを「人魚と潜水夫の伝説」という枠組みの中に配置して、ひとつの大きな物語に仕立て上げてある。そこでは伝説に沿うように、海で死んだ潜水夫の魂がウミガメに転生し、その肉を食べた少年の身体に宿り、成長して漁師になった少年が潜水夫として再び海に戻っていくという形で、大きなサイクルが完成するようになっている。しかしこの映像は、もともと伝説とは無関係に取材されているのだ。仮に撮影する側にそうした意図があったとしても、撮影されている被写体の側はそんなことと無関係に日々の生活を生きているだけだ。

 映画に登場するウミガメ漁にはびっくり。ウミガメってゼツメツキグシュで国際的に保護されてるんじゃないの? 一部地域では獲って食べてるってことですか。捕獲していい種類とそうでない種類があるのかな。しかしこの映画は別にそれを非難したり批判しているわけではない。海は人間にすべてを与え、また時としてすべてを奪う。海と共に暮らすとは、そういうことなのだ。

(原題:La sirena y el buzo)

第22回東京国際映画祭 natural TIFF
配給:未定
2009年|1時間26分|メキシコ、スペイン|カラー
関連ホームページ:http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=213
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:人魚と潜水夫
関連DVD:メルセデス・モンカーダ・ロドリゲス監督
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