牛の鈴音

2009/10/15 映画美学校第1試写室
韓国で大ヒットしたドキュメンタリー映画だが……。
「老人と海」ならぬ「老人とウシ」の話。by K. Hattori

Ushisuzu  2009年1月に公開されるや、韓国で大ヒットしたというドキュメンタリー映画。小規模公開から口コミで動員を延ばして公開館数も拡大され、公開7〜8週の2週に渡って興行ランキングの1位になったというのだから、これはかなり異色のヒット作と言えるだろう。しかし映画を観ていても、なぜこれがそんなにヒットしたのかが実感としてよくわからない。ドキュメンタリー映画作品として、特別優れているとも思えないのだ。劇映画のようなドキュメンタリーというのは、ドキュメンタリー映画の父ロバート・フラハティの時代から脈々と存在している、ドキュメンタリー映画のひとつの大きな流れのひとつだろう。

 『牛の鈴音』は演出や再現をなるべく排除した写実的ドキュメンタリーだが、作品が持っているたたずまいはフラハティの代表作『極北の怪異(ナヌーク)』や『アラン』に通じるものがある。特定の土地に根ざして生きる人々を取材するため、ひとつの家族に密着し、その生活をカメラで緻密に追っていく姿勢が共通しているのだ。『牛の鈴音』には『アラン』のウバザメ漁に匹敵する活劇的なダイナミズムはないが、主人公の老人が市場に牛を売りに行ったのに売り惜しみ、結局そのまま戻ってきてしまう葛藤は、ドラマとして十分なダイナミズムを持っていると思う。この映画はつまらないわけではない。丁寧に作られたいい映画だと思う。しかし特別優れているのかというと、別にそういうわけでもない。何といっても地味だ。それは間違いない。にもかかわらず韓国でヒットしたのは、この作品を受け入れるだけの個別の事情が、韓国に存在したからだとしか思えない。

 おそらく韓国人の多くはこの映画に登場するような農村風景を、いまだ原風景としての心の中に持っているということではないだろうか。映画の中には老夫婦のもとを、都会で暮らしている子供たちが訪ねるシーンが出てくるが、老いた両親を田舎に置き去りにして旧態依然の貧しい生活をさせながら、自分たちは都会での生活を満喫している子供たちの姿こそ、この映画のヒットを支えた観客たちに重なり合うような気がするのだ。そこで描かれているのは、農村に両親を残したまま子供たちが都市部で家庭を持つという都市化と核家族化だ。日本では同様の都市化と核家族化が大正時代に始まり、昭和戦前にはほぼ定着して、戦後高度経済成長期に確定的なものとなった。しかし韓国ではそれが今まさに起きている。この映画に登場する「家族」の姿は、昭和40年代や50年代には日本でも当たり前に見られたものなのだ。

 だが農村を原風景として持つ人々は、自分たちの子供を都市部で産み育てることで、農村の原風景を持たない世代が新たに台頭してくることになる。そこに「原風景」として農村は存在しない。この映画は1頭の老牛の死を通して、韓国人が共有してきた「原風景」としての農村の消滅を象徴的に描いているのだ。

(英題:Old Partner)

12月公開予定 シネマライズ、銀座シネパトス、新宿バルト9ほか
配給:スターサンズ、シグロ 宣伝:ムヴィオラ
2008年|1時間18分|韓国|カラー|1:1.85|ドルビーステレオ
関連ホームページ:http://cine.co.jp/ushinosuzuoto/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:牛の鈴音
関連DVD:イ・チュンニョル監督
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