eatrip

イートリップ

2009/09/02 アスミック・エース試写室
評判のフードディレクターが作った食についてのドキュメント。
雰囲気はあるが、映画としては力不足。by K. Hattori

eatrip  フードディレクターとしてテレビや雑誌でも活躍している野村友里が、初めて手掛けたドキュメンタリー映画。もちろんテーマは「食」。食材に携わる専門家から、主婦、歌手、茶道の家元、俳優、僧侶、画家、ダンサー、デザイナーなどが、ある時はカメラの前で食について思い出や哲学を語り、ある時は自らの食の現場を披露する。

 何となく雰囲気はあるけれど、映画としての一貫したテーマが見えてこない映画だ。映画は最後に出演者たちを招いて監督が料理を振る舞うディナーで締めくくられ、それ以前にも映画のあちこちに料理の準備過程が紹介されていくことで、このディナーが映画全体を一直線に貫く芯になるよう構成されている。しかし残念なことに、僕はこのディナーに映画全体をまとめる力があるとは思えないのだ。ディナーの準備風景はエピソード同士を区切る小さな幕間劇になっていて、それ自体が大きな物語になっていない。映画の最後を締めくくるディナーは他のエピソードが合流して決着が付く大団円ではなく、他のインタビューなどと同じひとつのエピソードになってしまっている。

 このディナーがクライマックスになれなかったのは、もちろん構成や演出にも原因があるだろう。しかしそれ以上にこのディナーを弱くさせているのは、そこに客を招く主人(ホスト)の顔が見えてこないからだ。映画の弱さもそこにある。この映画は「作り手の顔」が見えない。あるいは「主役は料理そのものであって、料理の作り手は裏方でいい」という考えがあるのかもしれないが、実際に料理を味わうことが出来ない映画というメディアにあっては、映画ならではの「味」の表現が考えられるべきだったのではないだろうか。料理を作る人がいて、料理を食べる人がそれを味わって、相互に食を通じたコミュニケーションが生まれる。この映画では「食べる人」しか出てこないので、映画の中に肝心のコミュニケーションが描かれることがない。食べる人たちの感動や感謝はただ料理にのみ向けられるのではなく、それを作ってくれた人のもてなしの気持ちに対する感動や感謝もあるはずなのだ。ここで作り手が裏方になってしまっては、食を通じた人と人との結びつきという話が成立しなくなってしまう。

 映画を通して作り手から何かしらのメッセージを発信するのがドキュメンタリー映画というものであり、目の前にある事象をただ映像として記録し並べただけではパパママの撮影した運動会ビデオと変わらない。監督はこの映画を通して何を訴えたかったのか? 観客に何を考えてほしかったのか? それが見えてこない映画は、ドキュメンタリーとしては致命的な弱点を抱えていると言わざるを得ない。素材がメッセージを語ってくれることがベストだが、それができないなら監督自身がカメラの前に出て行くしかあるまい。監督はカメラの陰に隠れていないで、堂々と自分自身の食についての考えを語るべきだった。

10月10日公開予定 恵比寿ガーデンシネマ
配給:スタイルジャム 宣伝:メゾン、バロン
2009年|1時間18分|日本|カラー|アメリカンヴィスタサイズ|DTSステレオ
関連ホームページ:http://eatrip.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:eatrip(イートリップ)
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