リヨンの橋の上で偶然出会った日本人の男女が、つかの間の恋をした後に離ればなれになってしまうという話。小林政広監督はドストエフスキーの原作をロベール・ブレッソン監督が映画化した『白夜』という映画を観て、いつか自分も同じような映画を作りたいと心にとめていたのだという。僕はドストエフスキーの原作は未読なのだが、「白夜」の映画化作品としてはルキノ・ヴィスコンティが監督したものがあって、僕はそちらを観ている。たぶん物語はどちらも同じだろう。ヴィスコンティの『白夜』を踏まえて今回の小林政広監督版を観ると、これは原作にドストエフスキーとは銘打っていないものの、紛れもなくドストエフスキーの「白夜」を下敷きにしていることがわかる。
語り手である男が、橋の上でひとりの若い女に出会う。彼女は橋の上で、恋人と再会する約束があるという。だが恋人は現れない。男は彼女に恋をする。彼女から男への手紙を託されるが、手紙は恋人には届かない。恋人は彼女を捨てたのではないか? 彼女は不安になる。そしてであったばかりの男と、ふたりの未来を語り始める。だがそんな夢のような時間は過ぎ去り、彼女は橋に現れた恋人のもとへと向かう。以上、ヴィスコンティ版も小林政広監督版も同じストーリーだ。
ストーリーは同じでも、今回の映画は紛れもない今の映画に全体が仕立て直されている。主人公の男女は21世紀の今を生きる、ごく平凡な日本人の男と女に設定されている。仕事に悩み、家族関係に悩み、生き方に悩み、恋愛に悩んでいる。その悩みの中身が、きちんと現代を生きる人々の現代的な悩みになっているから、筋立てがドストエフスキーをなぞっていてもドラマが古くならない。物語は「ストーリー」と「キャラクター」から出来ている。「ストーリー」が同じでも、「キャラクター」が新しくなればそこには新しい物語が生まれるわけだ。(「キャラクター」が同じで「ストーリー」が別なら、それは続編やシリーズものと呼ばれる。)
登場人物が2人に限定され、舞台もふたりが出会う橋を中心にごく限られた範囲に限定されている小さな世界。しかしこれが、観ていてまったく退屈しないのだ。橋の上で初めて男が女に声をかけてからはじまる、激しい会話の応酬がまずは面白い。テンポよく言葉が口から飛び出して、相手を責め立てていくノリのよさ。責めては守り、守っては責める攻防は、まるでスポーツの試合のようにスピーディだ。こういう会話のテンポがまったく新しいわけではないけれど、「橋の上で男女が出会って……」という設定とのミスマッチ感覚が面白い。それぞれが一方的にたっぷりと台詞をしゃべりまくる序盤のテンポが、徐々に緩やかになって主人公たちの会話が噛み合ってくるあたりも見せ方がうまい。基本的には台詞だけの映画なのだが、台詞が生きているから、出会ったばかりの男女が恋に落ちるという物語がリアルに見えるのだ。
DVD:白夜
原案:白夜(ドストエフスキー) 関連DVD:白夜(1957/ルキノ・ヴィスコンティ監督) 関連DVD:小林政広監督 関連DVD:眞木大輔 関連DVD:吉瀬美智子 |