へんりっく

寺山修司の弟

2009/08/05 映画美学校第1試写室
寺山修司の影を演じ続ける男についてのドキュメンタリー。
引用される寺山作品は貴重なものだ。by K. Hattori

Henrikku  映画とは目が覚めたまま見る夢だ。寺山修司もそんな映画の夢幻性に魅了された作家のひとりだろう。彼は一般劇場で公開された商業映画も何本か撮っているが、一般的な映画の枠組みを超えた実験的映画も製作している。1974年に作られた「ローラ」もそんな実験映画の1本。画面の中から3人の女たちが客席を挑発すると、その言葉に誘われるようにひとりの観客がスクリーンの中に飛び込んでいく。女たちにもてあそばれた男は、やがて全裸のままスクリーンから放り出される。人間が映画の中に入り込んでいくというアイデアは、映画史のごく初期から繰り返し映画作家たちを魅了したアイデアであり、寺山修司もそれを自分なりに表現したということだろう。

 「ローラ」でスクリーンと客席の間を行き来する観客を演じたのが、寺山修司の劇団に所属していた森崎偏陸だ。彼は「ローラ」が上映されるたびに、上映に必要な特殊なスクリーンを自ら制作し、自らその映画に出演し続けている。彼は寺山修司がスクリーンに投影した「影」を、今もなお生きたまま演じ続けているのだ。

 本作『へんりっく 寺山修司の弟』は、そんな森崎偏陸の現在を追い掛けたドキュメンタリー映画。2時間近い映画だが、説明的な台詞はほとんどない。説明的なナレーションもない。説明的な字幕もほとんどない。ただひたすら淡々と、カメラは森崎偏陸の現在の日常を、生活を、仕事ぶりを追い掛けていく。驚かされるのは、彼の変幻自在なマルチタレントぶりだ。「ローラ」上映(上演)に際してはワークショップを開き、他の映画上映でも映写機のセッティングから微調整までひとりでこなす。国内外で行われている寺山修司の回顧展や関連イベントに出席し、ゲストとしてトークに花を咲かせると同時に、そうしたイベントの裏方として演出もやっている。彼は舞台演出家であり、デザイナーであり、写真家であり、映画の世界でも助監督や音楽助手であり、編集者であり……、とにかく武芸百般何でもこなしてしまう万能選手なのだ。こうした八面六臂のマルチタレントぶりは、彼が寺山修司から受け継いだものだろう。しかし何でも一通りできてしまうことで、山崎偏陸という人物が摩訶不思議で正体不明な人間に見えてしまう面もある。身近な人間のひとりは、彼の活躍ぶりを見てつぶやくのだ。「へんりっくには、向き合うべき自分自身なんてものがあるんだろうか?」と。

 映画は事細かくあれこれ説明しようとはしないのだが、映画の背後に立ち上がってくるのはやはり寺山修司の巨大な存在感だ。森崎偏陸などゆかりの人々は今もなお、寺山修司という男に忠誠を尽くし、彼のために奉仕し働くことに意義を見出している。寺山修司の存在は過去のものではなく、彼らの中で寺山修司は今もなお生きている。それは心温まる子弟の交流と言った生やさしいものではない。寺山修司は今もなお多くの人々を束縛し、その自由を奪っているように見える。

10月公開予定 渋谷シアター・イメージフォーラム
配給:ワイズ出版 配給協力・宣伝:アルゴピクチャーズ
2009年|1時間57分|日本|カラー、モノクロ|スタンダード
関連ホームページ:http://www.wides-web.com/henriku_index.html
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:へんりっく 寺山修司の弟
関連DVD:石川淳志監督
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