1966年のテレビ放送開始以来、多くのファンを獲得してきた『スター・トレック(宇宙大作戦)』シリーズの劇場版最新作。数十年に渡ってテレビや映画や小説などでエピソードが綴られてきた結果、過去の作品を観ていないことには新しいエピソードが理解できないという袋小路に入り込んでしまった。シリーズの長期化が、結果としては新しい観客の開拓を阻むことになってしまったのだ。同じように長期のシリーズになっていても、アメコミ原作の映画は時々設定をリセットして過去の作品を無かったことにしてしまうことができる。『バットマン』シリーズは監督が替わるたびに設定がリセットする。『スーパーマン』シリーズもそうだ。『ハルク』も最近リセットした新バージョンが公開されたし、『ファンタスティック・フォー』も設定をリセットした再映画化が計画中との噂だ。しかし『スター・トレック』はそうしたことをしない。物語はすべてつながっていて、全体としてひとつの世界観を共有しているのだ。シリーズやエピソードの間で矛盾が生じると、それを調節するための新たなエピソードが作られたりする。
今回の映画は、シリーズ全体として世界観を共有するというこれまでの伝統と、物語を一度リセットしてスッキリさせてしまいたいという作り手側の希望が合致したところで成立した作品だろう。世界観の共有と物語のリセットは、本来ならまったく矛盾したものだ。こうした矛盾を多元宇宙(パラレルワールド)という設定でクリアしてしまうのは簡単だが、この映画はそこに、過去のシリーズとの接点を持たせるファンには嬉しい配慮がある。この映画はカークやスポックの若き日々を描くプリクエルだが、そこで描かれている「過去」がじつは「未来」でもあるというメビウスの輪のような構成になっているのだ。ここには少年時代のスポックが登場する。青年スポックがカークと対立しながら絆を深めていくエピソードも登場する。そして、老人になったスポックも登場する。『スター・トレックVI/未知の世界』以来18年ぶりに、レナード・ニモイがスポック役でスクリーンに登場するシーンは感動的だ。
USSエンタープライズ号初のミッションを通して、カーク船長が誕生するまでを描く物語。エンタープライズ号のブリッジにはカーク以下、スポック、マッコイ、スールー、チェコフ、ウフーラといったオリジナル版お馴染みのメンバーが勢揃いする。しかしこれがみんな若い。十代後半から二十代の若造たちがいっぱしの顔で宇宙戦争をやっている姿は、『スター・トレック』というより『スターシップ・トゥルーパーズ』に似ているかも。(あるいは「宇宙戦艦ヤマト」だな。)プリクエルというのは『スター・ウォーズ』の時もそうだが、登場人物たちの「未来の姿」と比較して「過去の姿」が幼く頼りなく見えてしまうものなのだが……。
(原題:Star Trek)