ポー川のひかり

2009/05/11 松竹試写室
ポー川流域の小さな村にふらりと現れた男の正体は?
現代を生きるキリストの言葉。by K. Hattori

One Hundred Nails - Movie Poster - 11 x 17  イタリアのボローニャ大学に収蔵されている貴重な古文書類が、何者かによって図書館の床に釘付けにされるという事件が起きる。無造作にページを開いたまま、床といわず机の上といわず所狭しと並べられた古文書類に、極太の鉄釘が深々と突き立てられている。それは古文書の集団殺戮とでも言うべき壮絶で凄惨な光景だ。容疑者はすぐに特定された。事件直後に姿を消した大学の若い哲学教授だ。彼は大学を立ち去ると、車を乗り捨て、財布や身分証や上着を捨て、わずかな現金とクレジットカードだけ持って、ポー川に面した廃屋で暮らし始める。親切な村人たちは廃屋の修理に協力。その風貌から「キリストさん」と呼ばれるようになった教授は、のどかな日差しの中で村の人々と語らい始めるのだが……。

 『木靴の樹』や『聖なる酔っぱらいの伝説』のエルマンノ・オルミ監督が、自分自身にとって最後の劇映画という決意を込めて撮った作品。監督は今後ドキュメンタリー映画を撮っていくのだという。新約聖書にあるイエス・キリストの生涯を下敷きに現代の「キリストさん」を描いたこの映画は、聖書やキリスト教の知識があるとより楽しめる内容だろう。しかし物語が聖書をなぞり始めるのは主人公の教授が村を訪れて以降のことで、映画の序盤30分は古文書磔刑のミステリーが中心。映画中盤以降にある聖書物語は、序盤のミステリーと呼応し合って始めてその意味が明確になってくる。

 映画の中盤以降で描かれるのは、「みんなイエス・キリストが大好きだ!」という普遍的な事実だ。クリスチャンなら当然イエスが大好きなわけだが、信仰とは無関係に、聖書に書かれているイエスの人柄に惹かれるという人は多い。イエスは女性にもてたし、男たちも引きつけた。頭がよくて、権力にこびず、困っている人や苦しんでいる人に親切な一方、権力や権威を笠に着た偽善者を憎んだ。人をもてなすのも人からもてなされるのも大好きで、時には面白い話や変わった話で人に感銘を与えた。イエスに出会った人たちは、みんな幸せな気持ちになった。でも教会はどうか? キリスト教はどうか? 彼らはイエスの教えを独占して、人々からイエスを遠ざけてしまった。イエスの言葉について考えることや語ることを専門家が独り占めし、人々がイエスの生の言葉に触れる機会を奪ってしまった。大学に保管されている膨大な量の古文書は、そうした教会やキリスト教の歴史を象徴している。主人公はそんなキリスト教の歴史を磔にして、人々の中で自分の言葉を語り始める。そして人々にも、自分の言葉で語ることの大切さを教え始める。

 寓意に満ちた映画だけに、観客によってその受け止め方はさまざまだろう。しかしこの映画にあるいくつかの美しいシーンに触れるだけでも、映画を観る価値はあるはずだ。ふたつのダンスパーティが交差する夢のような場面や、主人公の帰還を待ちわびて道の両側に灯されたランプの光が心に残る。

(原題:Centochiodi)

8月1日公開予定 岩波ホール
配給:クレストインターナショナル
2006年|1時間34分|イタリア|カラー|ヴィスタ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://po-gawa.net/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD;ポー川のひかり
関連DVD:エルマンノ・オルミ監督
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