ベルサイユの子

2009/04/03 映画美学校第1試写室
ベルサイユ宮の森で暮らすホームレスが5歳の少年を押しつけられる。
少年のため男は生活を変えようとするが……。by K. Hattori

 気ままな暮らしをしている浮浪者が、赤の他人である若い母親が置き去りにした子供を押しつけらる。困った厄介者だ。捨ててしまおうか。世話をするうちに、子供は男になつく。男も子供に情がわいてくる。男と子供は、やがて本当の親子のような絆で結ばれていく。だがこれが役所に知られれば、子供は取り上げられてしまうだろう。さてどうする? 1921年に作られたチャップリンの傑作『キッド』のあらすじだ。

 映画『ベルサイユの子』の設定は『キッド』に似ている。ただし『キッド』には笑いとユーモアとファンタジーがあったが、『ベルサイユの子』にあるのは剥き出しのリアリズム。チャップリンが「笑い」や「涙」というオブラートに包んで観客の目から隠していた「浮浪生活」の生々しい実態を、この映画は隠すことなく観客の目の前に突きつける。この映画の中でジュディット・シュムラが演じている若い母ニーナは、『キッド』でエドナ・パーヴィアンスが演じていた未婚の母のもうひとつの姿なのだ。仕事をなくし、住むところもなく、道ばたで子供を抱えて寒さに震える暮らし。「ママ、お腹がすいた!」と言う子供と一緒に、ゴミ箱から拾ったチキンを分け合って食べるシーンの壮絶さと美しさ。だがこのシーンにある幸福感は、『キッド』で浮浪者と子供がパンケーキを分け合って食べるシーンに匹敵する。

 しかしこの映画は後半になって、『キッド』に描かれる「疑似親子」路線を離れていく。主人公の浮浪者ダミアンは子供を連れて、町での暮らしに戻って行くのだ。子供のために、生活を建て直さなければならない。子供の面倒をみるために、働かなければならない。そのためにも、まずは自分自身が自分の家族と和解しなければならない。ダミアンにとっては大きな試練だが、子供のために彼はそれを乗り越える。子供を正式に自分の子供にする手続きを済ませ、学校に通わせる。教室の前でぐずる子供に、「勇気を出せ」とはげましの言葉をかける。学校に馴染めず「森の小屋に帰ろう」と泣きべそをかく子供に、「もう小屋には戻らない」と言い切るダミアン。だが彼はそんな子供を置き去りにして、また放浪の暮らしへと戻ってしまうのだ。

 結局ダミアンは、社会の中で暮らせない男なのだ。彼は人の温もりを求め、人を頼り、できれば社会の中で人並みの暮らしをしたいと願いつつ、それができないという葛藤を抱えている。「ヤマアラシのジレンマ」だ。彼はこの後、どこに消えてしまうのだろうか?

 『キッド』のラストシーンは、浮浪者が母親のもとに戻った子供と再会するハッピーエンド。しかしあの浮浪者は、その後どうするんだろうか? あの母子と一緒に暮らすのか? それとも気ままな浮浪者としての暮らしに戻るのか? それに答えが出せないから、『キッド』は主人公たちの再会でエンドマークにした。『ベルサイユの子』はそれを突き抜け、その向こう側にある現実を描いている。

(原題:Versailles)

5月2日公開予定 シネスイッチ銀座
配給:ザジフィルムズ
2008年|1時間53分|フランス|カラー|ビスタ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.zaziefilms.com/versailles/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ベルサイユの子
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